思い出の「ノルウェー通信」

すごくしつこく書いていますが、私がノルウェー語を習い始めたのは1994年です。
当時は、「北欧」のニュースや情報など、今のようにたくさん流れておらず、いわんやノルウェーなど・・・。
ノルウェー語教室の生徒同士で、「今度、テレビでノルウェーが映るらしいよ」と口コミで情報を共有していました。

そんなノルウェー情報に飢えていた時代。
とても楽しみにしていたのは、語学学校で先生からいただく「ノルウェー通信」という6枚からなる小冊子でした。
ノルウェー大使館が発行していたもので、まるごと「ノルウェー!」の印刷物。先生が配ってくれると「ワクワク」したものです。

物を割合、簡単に捨てる私ですが、この「ノルウェー通信」は大事に保管しています。
一番古い号が、1994年3号で通巻No.207となっています。ということは、一体いつから発行していたのでしょう??いずれにしても、息の長い広報活動ですね。
ノルウェー通信

「ノルウェー通信」の表紙は、その時々の話題のニュースや人物、イベントなどが飾っていました。
ニュース系で見直してみると、「ノルウェー、EUに加盟せず」や「ヤーグラン内閣発足」など。
著名人で言うと、リレハンメルオリンピックで活躍したスケート選手のコスや、「ソフィーの世界」のヨースタイン・ゴルデルなどなど。
他には、ノルウェー王国芸術祭や、ノルウェーのクリスマス紹介などなど。

中にとても貴重な写真がありました!
1998年の長野オリンピックに際し、ホーコン皇太子が来日。日本の皇太子と雅子妃と笑顔のショットがあり、「ホーコン、若~い!」と見入っちゃいました。

「ノルウェー通信」で得た知識はたくさんあります。
毎回、「ノルウェーInformation」というページがあり、政治・経済・社会制度、デザインなど分かりやすく解説してくれます。
オンブッド制度、地方自治、女性の社会進出、教育制度、20世紀のノルウェー建築などなど、とても資料的に価値がありますね。

他には、大使館の大使や書記官などの着任と離日のあいさつ(写真入り)、各セクション(商業部、産業技術部ネット)の紹介なども、写真入りで掲載されていました。
書記官などのあいさつは、穏当なものが殆どですが、中には「日本語の学習は、50代ではなく20代で始めるべきだと分かりました」というお茶目な言葉を残された方もいて、くすっと笑っちゃいました。

セクションの紹介で、どんどんコーナーが大きくなったのは、「水産物輸出審議会」です。
1995年には、「料理の鉄人」で活躍した道場六三郎氏をサーモンの広告に起用し、「ノルウェー・サーモン、日本で勝負かけるぞ!」という強い意気込みが感じられますね~。

さらに日本で出版されたノルウェー関連の本や開催されるイベント紹介のコーナーもあり、故山内清子さんが精力的に児童書を翻訳されていた様子がわかります。
あとは「ソフィーの世界」の大ヒットによって、ゴルデルの翻訳も相次いで出版されていた頃でした。今よりも、よほど、出版点数は多かったと思います。

・・・とここまで読まれると、「まじめ~」という印象かもしれませんが、ちょっと一息コーナーがある場合も。
例えば、「ノルウェーの若者はビールが好き?」というタイトルで、他の欧州諸国の若者に比べて飲酒量が多いショートニュースが紹介されていて、ノルウェー人のことをそれほど知らなかった当時は、「ふ~ん、そうなんだ~」と感心しきり。

実は私も、「ノルウェー通信」で短い連載を担当させていただく名誉にあずかりました。ノルウェー大使館、寛容すぎます!
1995年~96年の最初の留学記で、内容は今同様、「ほっこり&愛され」要素が足りませんでしたが、特にひどいことを書いている箇所を発見しました。引用します。

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ノルウェーの民放局はどうしてアメリカのドラマばかり放送するのだろう?自ら制作する番組はニュースなど非常に限られている。
これではせっかく学校でテレビ制作を学んでも、ノルウェー語の字幕を作ることくらいしか仕事がないのでは、と余計な心配をしてしまう。
(一部省略)
一歩外に出ると美しい自然が広がるこの国では、テレビで時間をつぶすのは勿体ないことを。テレビ局側が十分認識しており、わざとつまらない番組を流すようにしているのだろう、と今では思うようにしている。
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ひえ~、若いって怖いわ~。誰にケンカ売ってるの??と過去の悪行をさらしたところで・・・。

私が保管している「ノルウェー通信」は1999年2号が最後です。
1997年には、ノルウェー大使館のホームページが開設され、時代は「紙からインターネット」へと移っていきました。
ノルウェー大使館のHPは、「ノルウェー通信」の情報量とは比べ物にならないほど充実しています。
一体どれくらいの人が、「ノルウェー通信」を大使館から送付してもらっていたのか分かりませんが、作り手側と受け手側の「ノルウェー」という国に対する強くて深い思い入れが、感じられますね。

いわくつきの一品

は~い、注目!
って金八先生的なオープニングです。一部で熱狂的なマニアが存在する週1「ビジュアル強化ブログ」ですが、今日の一枚はこれで~す!

チーズフォンドュ鍋

写真のサイズを小さくしたのは、心優しい北欧業界諸先輩方から、
「あれって、ただサイズ大きくしているだけでヘン!」とか、
「写真の撮り方が雑!」とか、
まさに「ほっこり」コメントを頂き、ちょっと小さ目にしました~。写真のクオリティはどうにもできましぇーん。

この一品ですが、北欧ヴィンテージショップFukuyaさんから、3年ほど前に購入した「Figgjoのチーズフォンデュ鍋」セットです。
一目見て、「欲しい!」と購入したのですが・・・。
店長のミタさん夫妻から、「青木さん、あれ、ホントに使ってます?」「ほこりかぶっていない?」と何度も疑惑をかけられている「いわくつきの一品」なんです。
というのも、私が「どーみても、チーズフォンデュを作るキャラ」に思われていないからなんですね~。
実際は、夫妻の推測通りで、チーズフォンデュは作るに至ってませんが、冬場、湯豆腐を作るときに愛用していま~す。
・・・なんて書いたら、もうFukuyaさんから商品買わせてもらえないかも??

イースターにはミステリを

ノルウェー語では、「イースター」のことを「påske」(ポースケ)と言います。
この「ポースケ」の響きが可愛くて、生徒さんと「ぽー助みたいですね~」なんて笑ってます。
今年のポースケは、今週からですね~。
ノルウェーでは、ポースケで1週間~2週間休む人が多いので、hytta(ヒュッタ=セカンドハウス)にこもって、春スキーを楽しんだり、海外旅行したり、またはいつも以上に静かな町に残ったり、といろいろな方法で人々は「春の訪れ」を感じます。

そんな「ほっこり」したポースケ。
しかし、なぜかノルウェーのポースケでは、やたらと人が死ぬのです!

・・・といってもそれは現実ではなく、「ミステリ小説」のお話。
なぜミステリ?というと、ノルウェーでは「ポースケミステリ」(påskekrim)という一大ジャンルが存在するのです。
書店に行けば、大きく「påskekrim」と書かれたコーナーが設けられ、各出版社、ポースケに向けてたくさんのミステリ小説をラインナップに並べます。

最初は「ミステリ小説」だけだったのですが、今ではラジオやテレビでも「påskekrim」と銘打って、ミステリドラマシリーズを流します。
例えばNRK(ノルウェー国営放送)の番組表に、しっかりpåskekrimと書いてありますね。

http://tv.nrk.no/serie/hinterland/koif51002113/sesong-1/episode-1

特にノルウェー人に尋ねるわけでもなく、「なぜポースケにミステリ?」とあまり深く考えてきませんでした。
おそらく、あまりやることのないhyttaで余った時間に、ミステリを読めば集中できて楽しめるから?と勝手に想像していたのです。
このブログを書くにあたり、「påskekrim」の起源を調べたところ、思ったよりも歴史がありました。
wikiによると、すでに1920年代に、出版社が仕掛けたキャンペーンがきっかけだったようです。
ポースケ(正式には”聖枝祭”)1週間前に、大手新聞のトップに「ベルゲン線が今夜、襲われた」(Bergensbanen plyndret i natt)と載りますが、実はこれ、あるミステリ作家の新作タイトルでした。
広告であることを示す表記はごく小さく、多くの人は「え?そんな事件が?」と騙されてしまいます。
この「エープリルフール」のような広告は成功し、それから他の出版社も「ポースケにはミステリ」の戦略に乗っかり、今に至る・・・が「påskekrim」のヒストリーでした。

ノルウェーで存在することは、他の北欧でも同じ、ということが多いのですが、こと「påskekrim」に限っては、「ノルウェー的現象」のようです。

ミステリ

初代ミステリ女王の本!

翻訳家のヘレンハルメ美穂さんに教えていただいたのですが、ノルウェーの「påskekrim」の成功から、スウェーデンでも同じような試みが始まったようです。フツーはスウェーデンの後を追いかけるのが、ノルウェーなのに・・・。

こうなると、北欧中に「人がたくさん死ぬイースター」が広がっていくでしょうか?

元は「復活祭」というキリスト教の行事であるポースケ。
こんなに、フィクションの世界で人を殺したり、血を流していいのか分かりませんが、それだけノルウェーが平和な証なのかもしれませんね~。

増加するノルウェー人留学生たち

一時に比べて、日本で勉強するノルウェー人留学生は増えている、と感じます。
これは別に日本だけに限った傾向ではなく、「世界のいろいろなところへ」飛び出すノルウェー人学生が増えているそうです。
なんとその数、10人に1人のノルウェー人学生が留学しているとか。
そうして留学したノルウェー人の「その後」の傾向について、取り上げた記事がありました。
すごく納得できる内容なので、ご紹介したいと思います(Aftenposten、2014年4月13日)。

ANSAとは、「Association of Norwegian Students abroad」の略です。そこの代表、Vibeke(ヴィーベーケ)さんは、今はオスロにいますが、オーストラリアに留学経験があります。
「ノルウェーに一時帰国もしないで、オーストラリアで1年勉強した後、母に”私はここに残る”って断言したんです。」
温暖な気候やたくさんの魅力的な自然のあるシドニーは、Vibekeのように交換留学で1年過ごした後でも、十分に滞在したいと思える場所でした。

Vibekeは小さな時から、「ノルウェー以外の国で暮らしてみたい」と夢を持っていました。旅行だけでは物足りなかったのです。
「最初の年は、いろいろなものがバラ色に写るのでしょうね。海外に住むということは、一種の”恋愛”みたいなものなんです。」

その「恋愛期」を過ぎて、人は現実と向き合います。たとえオーストラリアは素晴らしい場所でも、仕事は?ビザは?
「私はオーストラリアで仕事を見つけようと真剣に考えました。しかし、オーストラリアではノルウェーより倍以上働かなくてはならず、しかも賃金は半分です。ビザの問題も容易ではありません。」

結局、Vibekeはノルウェーに戻る方へ気持ちが動きました。こうした決断は、他のノルウェー人留学生でも多くみられる傾向です。
留学先で試験が終了する3年後を過ぎても、その国に残るノルウェー人は20%以下という調査結果が証明しています。
同じ北欧のフィランド人留学生は、43%も留学先に残るのと対照的ですね。

しかし同時に面白い事実も分かっています。
ノルウェー人留学生は、留学中はその国に残り、仕事も見つけるつもりと答える方が多数派です。
ではなぜ、ノルウェー人留学生の多くは母国へ戻る選択をするのでしょうか?
NIFUという北欧のイノベーション、研究、教育に関する調査機関のWiers-Jensen(ヴィーエシュ・イェンセン)は、こう解説します。

「まず第一に、ノルウェーは他の欧州諸国と比べ、労働環境がとてもいいです。また家族を築くにあたり、十分な福祉制度が整っているのも魅力でしょう。」
保育園の充実、短い労働時間、仕事とプライベートライフの程よいバランスが、若い人をノルウェーへ再び引き寄せるのでしょうね。

他にも、ノルウェー学生たちの留学のハードルの低さ、も指摘されています。
返済不要な奨学金、また学生ローンを借りても、「奨学金」に換算される部分が多く、他国の留学生に比べ、「大枚はたいて留学する」必要はありません。
なので、「ノルウェー人留学生はどこにでもいる」という現象が起きているそうですよ!

Fuglen

ノルウェー人のたまり場

ちなみに私の知っている在日ノルウェー人留学生たちと話していると、その将来に対する「柔軟な考え方」に驚くことしばしばです。
「今は日本にいるけど、そのあとはロンドンに行くかもしれないし、働くのはどこかまだ決められないね」
「日本で仕事見つけたから働くけど、起業もしたいし、子どもが生まれたら、やっぱりノルウェーの方が子育てしやすいから帰りたいな」

こんな風に「やり直しがいくらでもきいて、選択肢の多い」ノルウェー人がうらやましいですね~。

石油をめぐる冒険

「ノルウェーってどうしてお金持ちなんですか?」という質問はたびたび受けます。

ノルウェーに興味がある生徒さんでもご存知ない方がいらっしゃるので、いわんや普通にノルウェーと関わりがない人など意識もされたことはないでしょう。
2012年の「国民一人あたりの名目GDPランキング」を見ると、ノルウェーは第3位にランクイン!
ノルウェーをそれほど豊かな国に押し上げたのは、ずばり石油と天然ガスのおかげです。
特に、石油については「Oljeeventyr」という単語が存在するほど。直訳すれば「石油物語」でしょうか。
私は村上春樹氏の「羊をめぐる冒険」をもじって「石油をめぐる冒険」という風に訳しちゃってます。

私自身、漠然とノルウェーで油田が発見されたのは、1960年代だということは知っていました。
油田発見までの詳しい経緯は、レッスンで使っている「Stein på stein」というテキストに載っています。「語学書のテキスト」でも学べることは多いですね。

テキストによると、ノルウェーが北海で油田を探し始めたのは1960年代半ばから。
しかしノルウェー単独では、油田探しの経験も技術もなかったので、海外の石油会社が油田探しに加わるように依頼されます。

温泉掘りと比較しては「規模が違う!」と怒られそうですが、油田探しは容易にはいきません。

4年かけて、30もの深いボーリングを行いますが。油田は見つかりませんでした。「もうこれは無理だ・・・」と諦めかけたところ・・・。
でも、アメリカのPhillips Petroleum社だけは、「あともう1回、ボーリングをしてみよう」と、ラストチャンスにかけます。
ついに1969年秋に、北海の中央付近に油田を見つけることができたのです!
その時の歓喜の様子は・・・・想像するだけでワクワクしますね~。

それからノルウェーはStatoilという国営の石油会社を作り、次々と油田開発と輸出を行っていきます。
順調に石油産業は成長し、そのおかげでノルウェーの経済も好調になっていきます。
ノルウェーは他の北欧諸国よりもリッチなので、しばしば「北欧のカタール」と揶揄されるほどです。

もっと言うと、スウェーデン人から「ノルウェー人は技術の開発はできない。あるのは天然資源だけ」とdisられるほど・・・。

のどか

ゆとり満載

2012年、石油輸出量は世界で5位、天然ガスは世界2位となっていて、莫大な収入を堅実に「政府年金基金」という形で貯蓄し、将来、資源が枯渇したり、価格が暴落した時に備えています。

今年読んだ記事だと、この基金は国民ひとり当たり1000万円ほどの貯金になっているらしいです。日本人は国民ひとり当たりの「借金」が膨大なので比較すると空しいです・・・。

ちなみにノルウェー国内の電力は、豊富な水資源を生かし、水力発電でまかなっています。
ですので、石油やガスは輸出だけという、何ともうらやましい状況なんですよ。

もし、あの時、Phillips Petroleum社がボーリングをあきらめ、帰国していたら・・・?と想像すると、ノルウェーってなんてラッキーだったのだろうって思いますね。
まさに「Oljeeventyr」という名がふさわしい「冒険譚」です。