2014年ノルウェーへの旅~赤パンのナゾ~

今年の5/13~23日まで、ノルウェーに行っていました。
普通は6月に行くことが多いのですが、Norla(ノルウェー文学海外普及協会)主催の「翻訳者セミナー」に招待され、この時期の渡ノルとなりました。
ちなみに昨年の旅日記はこちらからご覧になれます。

昨年は「時系列」で、旅の様子をつづりました。今年はちょっと趣向を変えて、アトランダムに旅の思い出や印象、そこから受けた思いなどを書いてみたいと思います。
・・・ということで、1回目はじゃ~ん、「赤パンのナゾ」です。

ノルウェーや北欧に行くと、いいおじさまが、派手な赤いパンツを召されている姿を見ることは、それほど珍しくありません。
赤パン

ただ、これを日本で実行してしまったノルウェーの男性が以前いました。
日本人同僚たちから影で「赤パン」とあだ名をつけられ、失笑されていましたが、ご本人は全く意に介さず、「赤パン」を貫かれていましたね~。
やはり、日本ではこの着こなしは難しいのでしょうか?
日本人の地味顔では、無理なのでしょうか?(←常にどーでもいいことを考えている)

このブログを書くにあたり、銀座のデパートのメンズコーナを徘徊したのですが、「スモークピンク」、「オレンジ」が限界で「真っ赤」は見つけられませんでした。
また私の周りで唯一、おしゃれな男性美容師さんに確認したところ、「売ってるのかもしれないけど、まぁ見かけませんね~」との証言が!

一方、帰りのコペンハーゲンの空港を歩いていると、とあるショップにこんな素敵な着こなしがディスプレイされていました。
赤パンマネキン

やはり「大人の男性は、赤パンを着こなしてこそ、おしゃれ上級者」と納得し、その場を立ち去りました。
(つづく)

喧噪の中で・・・

帰国後、お初のブログはちょうど「ビジュアル強化デー」です。
今回のノルウェー滞在は、5/17=ナショナルデーと重なりました~。特に今年は憲法制定200周年ということで、盛り上がり方はハンパなかったですぅ。

かつてないほどの人混みだったオスロ。
移動中の王宮公園で、こんな親子の姿に目が留まりました。

親子

正直、オスロは至るところ工事中で、せっかくの景観が台無しということが多かったのですが。
でも、喧噪の中でも素敵な一瞬に立ち会えた気分でした~。

祝!ノルウェー憲法200周年 深イイ話

ノルウェーファンのみなさ~ん、今年は何の年ですか~?
「は~い、ノルウェー憲法制定200周年記念です!」
憲法記念日の5/17はいよいよ今週です。盛り上がりますね~♪

Grunnloven(基本的な法律=憲法)は、ノルウェーの歴史に翻弄された中で成立しました。
まず、ノルウェーは14世紀~19世紀まで、デンマークの支配下に置かれます。しかし、欧州を二分する戦争が、その支配にピリオドを打ちます。
「ナポレオン戦争」で、デンマーク=ノルウェーはフランス側につきますが、フランスは敗戦。結果、デンマークはノルウェーを失います。
勝利国のイギリスには、スウェーデンがついていました。

デンマークからの支配を離れたことで、ノルウェー国内では一気に「独立機運」が高まり、「自分たちの憲法を作ろう!」と盛り上がりました。
ノルウェーはデンマークのChristian Frederik王子に「ぜひ、ノルウェーの国王になってください!」と頼り、王子もその気になります。
そして、伝説的な憲法起草作業は、Eivsvoll(アイツヴォル)という土地で行われることになり、国内から112名の男性たちが「憲法作成メンバー」として召集されました。

112名のうち、官僚は57名で残りは農民や商人たち。平均年齢は42歳だったそうです。
(メンバーに”農民”が含まれているのが、ノルウェー人の自慢でもあります)
1814年の4月10日から約6週間の「集団合宿生活」の中で、「ヨーロッパで最古」の憲法が誕生します。

ノルウェー憲法は、1776年の「アメリカ独立宣言」や1789年の「フランス革命」に影響を受けました。
「ヨーロッパでもっともラジカル、民主的、リベラル」と評される憲法は、確かに当時としては革新的でした。
三権分立や市民の権利保護、議会制度導入など、欧州の北の果ての小国ノルウェーの憲法に盛り込まれたのって、すごい!と思うのは私だけでしょうか?

在日ノルウェー大使館のHPによると、憲法の前文は以下の通りです。
「人は生まれながらにして自由であり平等である。人には、一定の重要かつ普遍の権利が備わっている。その権利とは自由、安全、財産に関する権利である」

ノルウェー人って、この時から「自由と平等、そして権利保護」が何よりも大切だったんだなぁとしみじみ。
こんなに素晴らしい憲法だからこそ、憲法にメンバーが署名した1814年5月17日から派生した「17.mai」(スットゥンネ・マイ)=「5月17日」=「憲法記念日」が盛り上がるのも納得ですね。

歴史的には、憲法は出来上がったけれども、「独立」は先延ばしになってしまいました.
勝利国の一つスウェーデンが、「戦利品」としてノルウェーを支配することになったからです。ノルウェーの独立は1905年に実現しました。

・・・と憲法制定までの感動的な話は、いくら、スレた心の私でも「いい話だなぁ」と思っていました。

あれは5年くらい前でしょうか。
「Norge」という5キロくらいの百科事典を知人からもらって、「Eivsvollストーリー」が載っていたので、「ふむふむ」と読み始めると・・・そこには「憲法作成合宿」のサイドストーリーが書かれていました。
まず、112名の男性たちはほとんどが初対面。
しかも、メンバーの中には、朝からビールやアルコールを飲む者たちがいたそうです!
そして多くの者たちを襲ったのは・・・「ホームシック」。
ある者は「私の人生で最も不幸な6週間だった」と回想し、
ある者は「この地獄から一刻も早く立ち去りたい」と妻に手紙を送りました。

ええ~?感動したエピソードの実態がこれ?と、呆れつつ笑っちゃいました。

ただ、「やっぱりノルウェー人だなぁ」と再確認しましたね。
「最後にはちゃんとしたものを仕上げてしまうパワー」。これは、彼らのDNAに脈々と受け継がれているようです。

ノルウェー人に仕事を、そうですね、「金曜締切」でお願いしたとしましょう。
すぐに取り掛かるケースは、相当、レアです。
木曜の午後あたりに「そういえば・・・」と思い出せばまだいい方。最後の最後、すごい集中力のラストスパートで「できたよ!」と仕上げてしまうのがノルウェー人。

17,mai

憲法記念日の行進

その「終わりよければ全て良し」的な成功体験だけが残り、常にこうしたペースで仕事をこなしていくノルウェー人は、とても前向きでいい人たち。
(待たされる方は、ハラハラしちゃいますが・・・)

いろいろな意味で今年の「ノルウェー憲法200周年」は感慨深いです。Hurra!

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明日からノルウェーに行きますので、ブログの更新はほぼできないと思いますが(あっぷあっぷな旅なので)、帰国後、また再開しますのでご愛顧のほどお願いします♪

コメディアン

さて、ノルウェー出発前の最後の「ビジュアル強化ブログ」。
今日の1枚はこれです!

DVD

このDVDは、ノルウェーを代表するお笑いお笑い番組です。コメディアンたちは、ノルウェー人なら誰もが知っているメンバーたち。

私が彼らを知ったのは、最初の留学時のこと。
キッチンに置いてあるTVに、水曜の夜、ぞろぞろとみんなが集まって来るので「え?なになに?」とわからないままスタートしたのが、伝説的なお笑い番組「Lille Lørdag」でした。
ノルウェー語はそれほどわからない私でも、周りの爆笑につられて、大うけしながら見た記憶があります。

あの頃に比べれば、パワーダウンは否めませんが、この「Team Antonsen」の中心的コメディアンのHarald Eiaが、自分が耐えられないものとして「オスロジャズフェスティバルのパレードで、パラソルを持って踊っている女性たち」を挙げています。
その気持ちわかる!!そのパレードのシーンを何度も見ている私も、ふか~く同感しちゃいました。

ノルウェーのDVDは物価高の割にそれほど高くないですし、軽いのでお土産にいいですよ~♪

恐怖のバス

オスロのバス。
電光掲示板で、次のバス停留所が表記され、自動アナウンスが流れる。な~んて便利!!

・・・て「そんなの当たり前でしょ?」と思っている方、日本のサービスにスポイルされていま~す。

私はムダにノルウェーと関わって長いのですが(もう20年!)、最初のころは特に「え?これってアリ?」と驚いたことが多かったと思います。
バス停に名前がない」・・・これは衝撃でした。オスロの話ではなく、郊外ですが。

例えば、友達や知り合いの家にバスに乗る必要があります。
「何てバス停で降りればいいの?」
「バス停の名前ないんだ~」
「???」
こんなやり取りでした。仕方ないので、そのバス停周りの特徴となる建物などを聞き出します。

オスロから小さなフェリーに乗って約20分のところに、Nesoddenという風光明媚な島があります。
そこにお住まいの先生のお宅を訪問する時は、やはりバスを利用したのですが・・・。バス停周りの特徴は「ピンクの家がある」。
私はバスに乗り込み、他の地元の乗客がリラックスして座席に座っている間、鬼の形相で窓の外を凝視します。
「ピンクの家、ピンクの家・・・」頭の中でぐるぐる悩みながら、「ここ??」と悩んで、ブザーを押して降りる・・・。よかった~、あってた~。
もう「恐怖のバス」以外の何物でもありません。

さすがに最近はだいぶ状況が良くなったのかなぁ、と思ってベルゲン大に4,5年前に留学していた生徒さんに聞いたら、「バス停の名前なかったです」。
ベルゲンって確か、ノルウェー第2の都市ですよね。でもそうなんだ・・・。驚きつつも、納得しちゃいました。

日本だったら、どんなに田舎でもバス停に無理やり名前を付けると思います。
ノルウェーは田舎or郊外のバスは、ハナから地元客しか乗らないだろうという見込みで「バス停に名前を付ける」という行為を怠っているのかでしょうか?

オスロのバスは、いつからかはっきり覚えていませんが、冒頭のようなサービスになりました。
以前は、バスの運転手がすご~く気まぐれに次のバス停の名前をアナウンスしてましたね・・・・。運転手によっては、アナウンスを忘れちゃったり、とんでもなく聞き取りにくかったり・・・。バス

なので冒頭のサービス&テクノロジーの発展は、昔を知る者としては、涙ものです。

「バスで恐怖を味わいたい」という方には、ノルウェーの郊外&田舎バス、おススメですよ~♪