ノルウェー系移民 in USA~最終回~

・・・なんやかんやと4回にまで長引いてしましました。
今まで、「辛酸をなめた」ノルウェー系移民について、焦点をあててきましたが、アメリカで成功した人たちもいるのです。

まずは、Hubert Humphrey(ヒューバート・ハンフリー)。
彼は、アメリカのミネアポリス市長から、第38代副大統領に就任します(60年代)。
南ノルウェー出身の両親が、サウス・ダコタに移住したみたいですね。ちなみにヒューバートは、民主党所属でした。

もう1人、政治的な成功をおさめた人物が、Walter Mondale(ウォルター・モンデール)。
出身はミネソタ州。カーター大統領の時代に副大統領になります。やはり民主党に属していましたが、1984年、レーガン共和党候補との大統領選で敗れます。

余談ですが、モンデールさんのことをなぜか覚えているエピソードが・・・。
まだ初期の頃の「本の雑誌」に、なぜかデーブ・スペクターが連載を書いていて、当時のアメリカ大統領選について、モンデール候補のことを「彼はノルウェー系移民だし、さえない
みたいなことを書いていたんですよね。
・・・当時、まだ中学生くらいだった私は、ノルウェーに「開眼」していなかったのですが、「ノルウェー系移民=さえない」という刷り込みがされました~。
実態はどうなのか、単なるデーブ・スペクターの偏見なのか教えて欲しいです!

改めて、このブログを書くにあたりモンデール氏のことを調べたら、駐日アメリカ大使を務めていたんですね~。ノルウェー語で話しかけたかったなぁ(←あらゆる意味でムリ)。

さらに「華麗なる一族の祖」が実は、ノルウェー系だったことをご紹介しましょう。
世界中にある「ヒルトンホテル」。
そのHiltonの祖であるのは、August Halvosen Hilton(アウグストゥ・ハルヴォルセン・ヒルトン)だったそうです。
彼は、Hiltonホテルを築いたConrad Hiltonの父。ということは、パリス・ヒルトンにつながるんですね~~~!!(←ビミョー?)

今回のブログを書くにあたり参考にしたMøkehagenさんのインタビューを引用しましょう。
「August Hiltonは、16歳でKlføta(注:オスロから近いAkerhus)のHilton農場から、ミネソタへ移住しました。そこから1880年代、ニュー・メキシコへ移ります。この辺りはまだ”未開の西部”でした。ほぼ無法地帯で、Augustは商いを始めます。危険な目に遭うこともあったようですが、彼はいつも命拾いしていました。彼のルールは”武器を持たないこと。武器を持っていない方が、生き残れるチャンスが大きい”でした。」

ノルウェー人らしい!!

・・・ということで、ノルウェー系移民と一言でいっても、たとえ移住したところは偏っていたとしても、人生はそれぞれですね。

UiO

サマースクールを開講するオスロ大学

~その1~で触れた「オスロ大学のサマースクール」は、そもそも「アメリカのノルウェー系移民」のために創設されたのです。
自分たちのルーツ=ノルウェーを見てもらいたい、という計らいだったのですね。
今では、国を問わずたくさんの学生たちが参加しています。

長丁場になりましたが、ご清聴=黙読、ありがとうございました~。

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ミニ

は~い、日曜日です。
ビジュアル強化ブログの日ですよ~。
今日の1枚はこちら!!

クリップ

こんな小さなクリップにあしらわれた「ノルウェー国旗」。
「ディテールに魂が宿る」ではありませんが、こんなちっちゃな物にも国旗をデザインしてしまうノルウェー人が好きです♪

日本ノルウェー協会 新年会♪

日本ノルウェー協会」主催の新年会に参加しました!
今回は、ノルウェー語の生徒さんたちも何人か参加され、去年の新年会とはまた違う楽しみ方ができました~。

今年はトータル110名もの方が参加ということで、まさに「大盛会」!
最初は着席で、会長やノルウェー大使のご挨拶、そして新会員、理事のみなさんが檀上に並びます。
そして、協会には有志の「コーラスグループ」があるのですが、日本の歌とノルウェーの歌をノルウェー語で歌われ、まさに「文化交流」を体現されていて、素晴らしい!と思いました。
こちらのコーラスグループには一昨年、ノルウェー語の歌の発音練習と歌の意味などをレクチャーさせていただいたことがあり、皆さんの努力と熱意には頭が下がります。

そしてそしてさらに、和太鼓のグループ(こちらはプロのかた)がパフォーマンスを披露!
おお、こんな贅沢なエンターテインメントが楽しめるなんて・・・会費を払っていて良かった~ウルウル。
で、お待ちかねの「豪華ビュッフェコーナー」がお披露目~。ここからは立食スタイルです。

sushi
人数が多いので、これは食事をゲットするまでにすごく時間がかかる、という目算はできていたので、すぐに寿司職人さんが握っているコーナーへ突進。
すぐにお寿司と醤油のお皿を手に取り、皆さんのテーブルに行ったら・・・
「センセイ、早いですね~」
え??みんなまず飲み物を持っているだけ?? 慌てて飲み物をもらって、みんなで一斉に

かんぱ~い!!
Cheers!
Skål!

う~ん。いいわぁ。
生徒さんたちは人数が多いので、いくつかのテーブルに分かれて飲食をされていました。
事前に「新年会のお料理はおいしいので、お腹を空かして来てくださいね」とお知らせしていたせいか、お皿にお料理てんこ盛り。
口々に「おいしい~」とおっしゃってます。

またせっかくその時点で、日ごろのレッスン成果を披露して頂こうと考えました。
知り合いのノルウェー人にテーブルに来てもらって、「さぁ、皆さん、ノルウェー語で話してみてくださいね~」と煽ったのですが、いきなりで恥ずかしかったようで・・・。
もちろん、すごく頑張ってノルウェー人と会話にトライされた生徒さんもいて、「その調子~」と嬉しい思いでした。
他にも、実は同じ職場にいるけれども、お互いに知らなかった生徒さんと、私が存じ上げている方をお引き合わせできたり、「横のつながりって大事だな~」と実感です。

で、ノルウェー大使なのですが・・・。
新任ということもあり、ご挨拶や一緒に写真を撮ろうとたくさんの人が待機状態という感じでした。
私は以前、グリーグ協会のご厚意で、大使館へご挨拶に伺う機会があったのですが、とてもフレンドリーで話しやすい方です。
そしてようやく食べ物を取っている大使に、「こちらが生徒さんたちです~」とご紹介できて、大使は「おお!ノルウェー語を勉強してくれているんだね」とお言葉を頂きました~。
生徒さんたちの笑顔も、緊張しつつも嬉しそうでなによりです。

時間が経つのはホントに早くて新年会恒例の「景品大会!」がスタートします。

ビンゴ

景品大会!

入場時にもらった番号札が呼ばれたらば、景品をいただけるのですが、かなりの数が用意されていて、かなりお得なのです。
だって全然、クジ運がない私でも2年連続で当たったくらいですから~。「アクアビットジャパン」さんは、大きなノルウェーサーモンを提供されていました。(生徒さんがゲット!)
また、北欧名物、じゃがいもの蒸留酒のアクアビット1本が当たった生徒さんがいたのですが、ご本人はお酒が飲めないとのこと。「ノルウェー人に5000円で売れますよ」と悪魔のささやきをしました。

そしてお開きになったのですが、せっかくだから生徒さんたちみんなで集合写真を撮りたいなぁ、と。
在日ノルウェー商工会議所のMichal専務理事(といってもヤングです!)を交えて記念撮影~。そして生徒さんの一人が 「大使とも撮りません?」と提案されました。
大使は大人気で、いろいろな人が一緒に写真を撮っています。で、ようやく帰ろうとしている大使に、「お願いします」と無茶ぶりし「もちろん!」とご快諾していただきました~。
集合写真
日本とノルウェーの国旗の下で、記念撮影。みんなで

Tusen takk!(どうもありがとう!)
Ha det! (さようなら)

と声をそろえてご挨拶。
「新年会、楽しかったです」と生徒さんたちが嬉しそうだったのでホント良かったです!

新年会やさまざまなイベントは理事の方たちが、黒子役でサポートしていただき感謝の気持ちでいっぱいです。
来年の新年会が今から楽しみです~(←のんき)。

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2015/1/22 | Category : イベント | Author : norway-yumenet

ノルウェー系移民 in USA ~その3~

そもそも「アメリカのノルウェー系移民」について取り上げてみたいと思ったのは、「その2」でも引用したAftenpostenの記事がきっかけです。
昨年、Sverre Mørkhagen(スヴァッレ・モルクハーゲン)がそのテーマで3巻もの大作を刊行したので、Aftenpostenが特集を組み、「ふ~ん」と読んでいたのですが・・・・

知らないことあった!!と興味深かったのです。

まず、ノルウェー系移民はウィスコンシン、ミネソタ、ノース・ダコタなど五大湖周辺が多いという事実は知っていましたが、実は都市部に移住していたグループもいたのです。
その場所は・・・ニューヨークのブルックリン地区。
以前にノルウェー人女性が、ブルックリン地区でパン屋さんを開き、繁盛しているブログを書きましたが、かの地とノルウェー人は何か縁があるのでしょうか??

さて、記事によるとブルックリンにノルウェー系移民が集まっていたのは、19世紀末、そして1950、60年代だったそうです。
そこでもノルウェー人たちは「自分たちのコロニー」を形成しました。ノルウェー人の店、美容院、カフェ、新聞、協会やクラブなど。
英語が特にできなくても、生活できる環境だったそうです。

国旗

ノルウェー国旗

モルクハーゲンさんのコメントで興味深かった点を挙げてみましょう。
こうしたアメリカ社会に溶け込もうとしない民族グループは、「本物のアメリカ人」(ってなんなのか良くわかりませんが)からすれば、「苛立ちの対象」となりえますが、ノルウェー系移民は他の同じような民族グループ、特にドイツ系移民に比べ、「それほど批判にさらされなかった」そうです。ドイツ系は特に世界大戦が影響していたようです。記事には言及はありませんが、日系移民にも同じことが言えるでしょう。

しかし、こうした「ノルウェー系コロニー」だけでの生活では、アメリカで「リッチになって成功する」は叶いません。
事業の成功には、まずアメリカ社会に「同化」し、アメリカ人と似たように振る舞う必要があります。
ですので「その2」でも引用したように、アメリカに馴染めなかったノルウェー人の手紙が資料として残っています。

ノルウェー系移民の貧困を裏付ける別の数字を挙げてみると・・・
ニューヨークにあった「貧者の家」の記録(1910-20年)に、そこで生まれたノルウェー系移民の子どもは454人にも上ります。
モルクハーゲンさんのコメントを再び引用すると、「貧困は際立っていました。死亡率も高かったようですが、その数字は私自身も他の人も把握できていません。」

・・・アメリカの地方でも都市部でも貧困だったノルウェー系移民。
ですが、成功を収めた人もいたのです!
(つづく)

ノルウェーのヒーロー

Tiden flyr! 時が経つのは早いで~す。あっという間に日曜日。そう、「ビジュアル強化ブログ」の日です。
本日の1枚はこちら!

切手

はい・・・ノルウェーの切手です。
今週、受け取った郵便物に貼ってありました。
さ~て、この切手は何がモチーフでしょう?
はい、ノルウェー人が大好きな冒険家のThor Heyerdahl(トール・ハイエルダール)です! 日本では「ヘイエルダール」の方が知られていますが、発音は「ハイエルダール」の方が
近いかなぁっと。

ノルウェー史上最高の予算で『コン・ティキ』という映画がつくられ、観に行かれた方もいらっしゃるでしょうか?
いかだのヨット「Kon-tiki」(コン・ティキ)で、南米から南太平洋までの航海をしたことで有名ですね。
オスロの「コンティキ博物館」はノルウェー人ならば「生涯で一度は行っている建物」です!(外国人観光客は「ヴァイキング船博物館」に行っている割合が多い)

・・・切手に関して言えば、ノルウェーの友達は昔、「日本の切手は本当にいろいろな種類もあるし、きれいで羨ましい~。それに比べてノルウェーの切手は・・・」と文句を言い始めましたが、
ノルウェーの切手も頑張っていると思いますけどね。そうそう彼女は、「ま、女王の切手しかないイギリスよりはマシだけど」と言ってました~。