ノルウェー系移民 in USA ~その3~

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そもそも「アメリカのノルウェー系移民」について取り上げてみたいと思ったのは、「その2」でも引用したAftenpostenの記事がきっかけです。
昨年、Sverre Mørkhagen(スヴァッレ・モルクハーゲン)がそのテーマで3巻もの大作を刊行したので、Aftenpostenが特集を組み、「ふ~ん」と読んでいたのですが・・・・

知らないことあった!!と興味深かったのです。

まず、ノルウェー系移民はウィスコンシン、ミネソタ、ノース・ダコタなど五大湖周辺が多いという事実は知っていましたが、実は都市部に移住していたグループもいたのです。
その場所は・・・ニューヨークのブルックリン地区。
以前にノルウェー人女性が、ブルックリン地区でパン屋さんを開き、繁盛しているブログを書きましたが、かの地とノルウェー人は何か縁があるのでしょうか??

さて、記事によるとブルックリンにノルウェー系移民が集まっていたのは、19世紀末、そして1950、60年代だったそうです。
そこでもノルウェー人たちは「自分たちのコロニー」を形成しました。ノルウェー人の店、美容院、カフェ、新聞、協会やクラブなど。
英語が特にできなくても、生活できる環境だったそうです。

国旗

ノルウェー国旗

モルクハーゲンさんのコメントで興味深かった点を挙げてみましょう。
こうしたアメリカ社会に溶け込もうとしない民族グループは、「本物のアメリカ人」(ってなんなのか良くわかりませんが)からすれば、「苛立ちの対象」となりえますが、ノルウェー系移民は他の同じような民族グループ、特にドイツ系移民に比べ、「それほど批判にさらされなかった」そうです。ドイツ系は特に世界大戦が影響していたようです。記事には言及はありませんが、日系移民にも同じことが言えるでしょう。

しかし、こうした「ノルウェー系コロニー」だけでの生活では、アメリカで「リッチになって成功する」は叶いません。
事業の成功には、まずアメリカ社会に「同化」し、アメリカ人と似たように振る舞う必要があります。
ですので「その2」でも引用したように、アメリカに馴染めなかったノルウェー人の手紙が資料として残っています。

ノルウェー系移民の貧困を裏付ける別の数字を挙げてみると・・・
ニューヨークにあった「貧者の家」の記録(1910-20年)に、そこで生まれたノルウェー系移民の子どもは454人にも上ります。
モルクハーゲンさんのコメントを再び引用すると、「貧困は際立っていました。死亡率も高かったようですが、その数字は私自身も他の人も把握できていません。」

・・・アメリカの地方でも都市部でも貧困だったノルウェー系移民。
ですが、成功を収めた人もいたのです!
(つづく)