オスロの団地

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先日、日本の新聞で「今、団地に注目」という記事を読みました。
団地を舞台にした映画や文学、マンガが増えている、と。また昔の団地をリノベーションする例もあるようですね。
ノルウェーの「団地」は?と考えてみたところ、まず思い浮かんだのが、drabantby(ドラバントビー)という単語です。
日本語にすると「ベッドタウン」「郊外の町」といった意味でしょうか。

第二次世界大戦後、オスロへたくさんの人々が引っ越してきました。地方では仕事が見つからないからです。
結果、住宅不足が深刻となり、今までなかったタイプの町づくりが進められます。
1950年代からオスロ東南部に、集合住宅=団地が次々と建設され、それらはdrabantbyと呼ばれるようになりました。

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ノルウェー語の語学書やネットで調べるとLambertseter(ランベルトセーテル)がオスロで最初のdrabantbyと定義されているようです。
”Stein på stein”という語学書には、一人の老人が昔を振り返るという体裁で、Lambertseterについて語っています。
「戦後、オスロへ移住し、同じ工場で働く女性と結婚したがひどい住宅不足だった。中心地の一部屋しかないアパートに住んでいたが、Lambertseterに引っ越すことができ、感動した。広く明るい部屋、キッチンとバスルームは専用、セントラルヒーティングまであったんだ!」

テキストからの写真。洗濯機を嬉しそうに見る家族。

テキストからの写真。洗濯機を嬉しそうに見る家族。

当時のLambertseterの様子は、Youtubeになぜかありました。インタビュー中のノルウェー語だと「若い家族が住めるような3部屋、4部屋の住宅と手ごろな価格帯を設定。住宅銀行と協力。当初、お店は一つしかなくて、みんなボランティアで周囲を整備していった。交通の便もほぼなかった」とありますね。面白いのでリンクを貼ります。https://www.youtube.com/watch?v=FfFXGxMb1NM

ちなみに最新のLambertseterの集合住宅広告を見たら、すごーくモダンになっていてびっくりです!
https://www.obos.no/symraterrasse#project

もうちょっとdrabantbyの歴史をネットで探すと1つの興味深い記事がありました(Dagsavisen、2015年11月25日)。
多くのdrabantbyの設計を手がけたのは、Frode Rinnan(フローデ・リナン)という建築家だったそうですが、彼はdrabantbyだけではなく、1952年オスロ五輪の設計にも数多く関わっています。ホルメンコーレンのジャンプ台やビスレットの競技場など・・・。
そしてRinnanは、drabantbyの集合住宅を「3階建までにする」という信念があったそうです。
理由は「妊婦にとって階段をたくさん上るのは大変だから」というもので、その時代にすでにそうした配慮があったのだな~と感心。
ただ朝鮮戦争の勃発後、資材が高騰してしまい、OBOS(オスロ住宅供給センター)が「4階建ての方が安く済む」とRinnanの反対を押し切って4階建住宅を建設したそうです。
他にもRinnanは、drabantbyは「緑豊かで、遊べる場所があること」を重視したとのこと。何よりも住民たちが快適に暮らせることを目指したようです。

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今でもLambertseterはありますし、他にもいろいろなdrabantbyが残っています。
あまり観光客は行かないエリアですよね。
私自身、中に入ったことは一度しかありません。元生徒さんが住んでいる団地は、築50年近くかと思いますが、予想以上に中がきれいで間取りも広かったです!(リフォームはされたようです)
場所にもよりますが、バスや地下鉄は通り、スーパーや医療センター、銀行や子どもたちの公園が揃っていて、そのdrabantby内だけで生活できるエリアも存在します。

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私が「ノルウェーらしい」と感じたのは、ちゃんとテーブルや椅子が置けるバルコニーがあることでしょうか。これは「マストアイテム」なのかもしれませんね。

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観光だけだと行かないエリアかと思いますが、オスロの町の発展を語る上で欠かせないのがdrabantbyだと思います!
日本の団地との比較も面白そうですね~。

補足:ヘルシンキとエストニアのタリンに旅行した際、いかにも「無機質な感じの団地群」を見て驚きました。ロシアに近い方がそういう建物になるのでしょうか??