東北の大学生たちが体験したノルウェー~その1~

福祉国家ノルウェーには、一体いままでどれくらいの日本人が視察や研修に行かれたのでしょう?
10年以上前、視察の仕事で「男女平等オンブッド」(現在は「差別オンブッド」)を訪問した時です。
代表の部屋にはたくさんの日本視察団からのお土産が壁に飾ってあり、ちょっと皮肉まじりに「日本からの訪問はとても多いんですよ」とおっしゃってました。
それら数多くの視察を生かし、日本の女性の地位が劇的に向上したかどうかはやや疑問ですね。

夫婦

もちろん、視察は行った方がいいに決まっています。百聞は一見にしかずですから(でも税金で観光目的のニセ視察は反対!)。

7月の終わりに、仙台から旧知の「ノルウェーに学ぶ会」の木村さち子さんと「公益財団法人せんだい男女共同参画財団」理事長の木須八重子さんとお目にかかる機会がありました。
2011年の東日本大震災発生後、世界の様々な国がいろいろな支援を被災地に行っていることは、漠然と分かっていました。
ではノルウェーは?ノルウェーはどんな支援を行っているのでしょう?
ノルウェーは自分たちの得意分野である水産業環境エネルギーの支援、そして世界トップレベルの「男女平等」を支援に盛り込んだそうです。
アルネ・ウォルター大使は奥山恵美子仙台市長と東日本大震災復興のための女性リーダーシップ基金を設立することに合意します。

そして、木須理事長から「ノルウェー王国視察研修2013報告書」を頂きました。
一読して、「私も知らないことがある!」と目からうろこの報告書でした。早速、ご紹介をしましょう。

報告書

まず日程は2013年9月末~10月初め。視察団のメンバーは、東北大学、福島大学、東北学院大学の学生計6人。そして財団の事務局の方が2人同行されました。
視察前には事前研修を4回も行ったとのこと。これは大事なポイントだと思います。
訪問先を列挙します。
・市内見学
・労働党(Ap)本部
・テロ犠牲者に献花(オスロ大聖堂)
・子どもオンブッド
・オスロ大学(学生議会、学生福祉協議会、LGBTの若者の権利を守る全国組織)
・国立女性博物館
・NTNU(ノルウェー科学技術大学)男女平等研究所訪問@トロンハイム

労働党では、2人の女性国会議員が出迎えてくれました。ちょうど昨年、労働党を中心とする政権から保守党を中心とする政権へ移行した後です。
すでにこの訪問時で労働党のお二人は「保守党政権になれば男性の育児休暇制度が後退する」と懸念されていますが、それは現実となりました。
学生たちの質問の中で印象に残った点がありました。
-「女性国会議員だからという理由でいやがらせはありますか?」
なんと答えは「ある」。男性からFacebbookやSNSでハラスメントを受けた経験がある、ということです。
ただ、それに屈することなく「男女平等を進めるのは男性からも理解を得ることが必要。子育てに参加できるようになり、男女平等は男性にとっても意味のあることだと言ってくれる(略)
ポジティブな男性を味方に入れることが大切」と前向きな姿勢がやはりノルウェー人だな、と感じました。

国会議事堂

テロ犠牲者たちに学生たちは献花も行っていますが、報告書に「人災と天災という違いはあっても、東日本大震災と同じ年に、痛ましい経験をしたノルウェー。」との言葉に重みを感じます。

私も留学したオスロ大学に、視察団は訪問していますが、内容を読んで「知らないことばかり!」と発見の連続でした。
まず「学生議会」の運営。な~んとなくそういう団体があるということは知っていましたが、内容を引用しましょう。
「学生議会の議席数は38名、8つの学部からそれぞれ割り当てられた8名と、学部に関係なく全学生から選挙で選ばれた28名。男女比は50:50。
大学を休学し、大学から給与をもらいながらフルタイムで学生議会に専従する学生が5人います。」

日本の学生たちは率直につづっています。「大学を1年休学して学生生活向上のために働くという日本では考えられない制度に戸惑いました。」
「就職に影響はないのか?」という問いかけにノルウェー人学生は答えます。
「ノルウェーでは、大学を含め民主主義をとても重視しています。学生自治の活動を行ってきたことは、むしろプラスに評価されるでしょう。」
さすがノルウェー。こういう「多様性」嫌いじゃないです。いろいろな学生生活があっていいんだな~と思える発言でした。

学生たち
(つづく)

祝!ノルウェー憲法200周年 深イイ話

ノルウェーファンのみなさ~ん、今年は何の年ですか~?
「は~い、ノルウェー憲法制定200周年記念です!」
憲法記念日の5/17はいよいよ今週です。盛り上がりますね~♪

Grunnloven(基本的な法律=憲法)は、ノルウェーの歴史に翻弄された中で成立しました。
まず、ノルウェーは14世紀~19世紀まで、デンマークの支配下に置かれます。しかし、欧州を二分する戦争が、その支配にピリオドを打ちます。
「ナポレオン戦争」で、デンマーク=ノルウェーはフランス側につきますが、フランスは敗戦。結果、デンマークはノルウェーを失います。
勝利国のイギリスには、スウェーデンがついていました。

デンマークからの支配を離れたことで、ノルウェー国内では一気に「独立機運」が高まり、「自分たちの憲法を作ろう!」と盛り上がりました。
ノルウェーはデンマークのChristian Frederik王子に「ぜひ、ノルウェーの国王になってください!」と頼り、王子もその気になります。
そして、伝説的な憲法起草作業は、Eivsvoll(アイツヴォル)という土地で行われることになり、国内から112名の男性たちが「憲法作成メンバー」として召集されました。

112名のうち、官僚は57名で残りは農民や商人たち。平均年齢は42歳だったそうです。
(メンバーに”農民”が含まれているのが、ノルウェー人の自慢でもあります)
1814年の4月10日から約6週間の「集団合宿生活」の中で、「ヨーロッパで最古」の憲法が誕生します。

ノルウェー憲法は、1776年の「アメリカ独立宣言」や1789年の「フランス革命」に影響を受けました。
「ヨーロッパでもっともラジカル、民主的、リベラル」と評される憲法は、確かに当時としては革新的でした。
三権分立や市民の権利保護、議会制度導入など、欧州の北の果ての小国ノルウェーの憲法に盛り込まれたのって、すごい!と思うのは私だけでしょうか?

在日ノルウェー大使館のHPによると、憲法の前文は以下の通りです。
「人は生まれながらにして自由であり平等である。人には、一定の重要かつ普遍の権利が備わっている。その権利とは自由、安全、財産に関する権利である」

ノルウェー人って、この時から「自由と平等、そして権利保護」が何よりも大切だったんだなぁとしみじみ。
こんなに素晴らしい憲法だからこそ、憲法にメンバーが署名した1814年5月17日から派生した「17.mai」(スットゥンネ・マイ)=「5月17日」=「憲法記念日」が盛り上がるのも納得ですね。

歴史的には、憲法は出来上がったけれども、「独立」は先延ばしになってしまいました.
勝利国の一つスウェーデンが、「戦利品」としてノルウェーを支配することになったからです。ノルウェーの独立は1905年に実現しました。

・・・と憲法制定までの感動的な話は、いくら、スレた心の私でも「いい話だなぁ」と思っていました。

あれは5年くらい前でしょうか。
「Norge」という5キロくらいの百科事典を知人からもらって、「Eivsvollストーリー」が載っていたので、「ふむふむ」と読み始めると・・・そこには「憲法作成合宿」のサイドストーリーが書かれていました。
まず、112名の男性たちはほとんどが初対面。
しかも、メンバーの中には、朝からビールやアルコールを飲む者たちがいたそうです!
そして多くの者たちを襲ったのは・・・「ホームシック」。
ある者は「私の人生で最も不幸な6週間だった」と回想し、
ある者は「この地獄から一刻も早く立ち去りたい」と妻に手紙を送りました。

ええ~?感動したエピソードの実態がこれ?と、呆れつつ笑っちゃいました。

ただ、「やっぱりノルウェー人だなぁ」と再確認しましたね。
「最後にはちゃんとしたものを仕上げてしまうパワー」。これは、彼らのDNAに脈々と受け継がれているようです。

ノルウェー人に仕事を、そうですね、「金曜締切」でお願いしたとしましょう。
すぐに取り掛かるケースは、相当、レアです。
木曜の午後あたりに「そういえば・・・」と思い出せばまだいい方。最後の最後、すごい集中力のラストスパートで「できたよ!」と仕上げてしまうのがノルウェー人。

17,mai

憲法記念日の行進

その「終わりよければ全て良し」的な成功体験だけが残り、常にこうしたペースで仕事をこなしていくノルウェー人は、とても前向きでいい人たち。
(待たされる方は、ハラハラしちゃいますが・・・)

いろいろな意味で今年の「ノルウェー憲法200周年」は感慨深いです。Hurra!

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明日からノルウェーに行きますので、ブログの更新はほぼできないと思いますが(あっぷあっぷな旅なので)、帰国後、また再開しますのでご愛顧のほどお願いします♪

増加するノルウェー人留学生たち

一時に比べて、日本で勉強するノルウェー人留学生は増えている、と感じます。
これは別に日本だけに限った傾向ではなく、「世界のいろいろなところへ」飛び出すノルウェー人学生が増えているそうです。
なんとその数、10人に1人のノルウェー人学生が留学しているとか。
そうして留学したノルウェー人の「その後」の傾向について、取り上げた記事がありました。
すごく納得できる内容なので、ご紹介したいと思います(Aftenposten、2014年4月13日)。

ANSAとは、「Association of Norwegian Students abroad」の略です。そこの代表、Vibeke(ヴィーベーケ)さんは、今はオスロにいますが、オーストラリアに留学経験があります。
「ノルウェーに一時帰国もしないで、オーストラリアで1年勉強した後、母に”私はここに残る”って断言したんです。」
温暖な気候やたくさんの魅力的な自然のあるシドニーは、Vibekeのように交換留学で1年過ごした後でも、十分に滞在したいと思える場所でした。

Vibekeは小さな時から、「ノルウェー以外の国で暮らしてみたい」と夢を持っていました。旅行だけでは物足りなかったのです。
「最初の年は、いろいろなものがバラ色に写るのでしょうね。海外に住むということは、一種の”恋愛”みたいなものなんです。」

その「恋愛期」を過ぎて、人は現実と向き合います。たとえオーストラリアは素晴らしい場所でも、仕事は?ビザは?
「私はオーストラリアで仕事を見つけようと真剣に考えました。しかし、オーストラリアではノルウェーより倍以上働かなくてはならず、しかも賃金は半分です。ビザの問題も容易ではありません。」

結局、Vibekeはノルウェーに戻る方へ気持ちが動きました。こうした決断は、他のノルウェー人留学生でも多くみられる傾向です。
留学先で試験が終了する3年後を過ぎても、その国に残るノルウェー人は20%以下という調査結果が証明しています。
同じ北欧のフィランド人留学生は、43%も留学先に残るのと対照的ですね。

しかし同時に面白い事実も分かっています。
ノルウェー人留学生は、留学中はその国に残り、仕事も見つけるつもりと答える方が多数派です。
ではなぜ、ノルウェー人留学生の多くは母国へ戻る選択をするのでしょうか?
NIFUという北欧のイノベーション、研究、教育に関する調査機関のWiers-Jensen(ヴィーエシュ・イェンセン)は、こう解説します。

「まず第一に、ノルウェーは他の欧州諸国と比べ、労働環境がとてもいいです。また家族を築くにあたり、十分な福祉制度が整っているのも魅力でしょう。」
保育園の充実、短い労働時間、仕事とプライベートライフの程よいバランスが、若い人をノルウェーへ再び引き寄せるのでしょうね。

他にも、ノルウェー学生たちの留学のハードルの低さ、も指摘されています。
返済不要な奨学金、また学生ローンを借りても、「奨学金」に換算される部分が多く、他国の留学生に比べ、「大枚はたいて留学する」必要はありません。
なので、「ノルウェー人留学生はどこにでもいる」という現象が起きているそうですよ!

Fuglen

ノルウェー人のたまり場

ちなみに私の知っている在日ノルウェー人留学生たちと話していると、その将来に対する「柔軟な考え方」に驚くことしばしばです。
「今は日本にいるけど、そのあとはロンドンに行くかもしれないし、働くのはどこかまだ決められないね」
「日本で仕事見つけたから働くけど、起業もしたいし、子どもが生まれたら、やっぱりノルウェーの方が子育てしやすいから帰りたいな」

こんな風に「やり直しがいくらでもきいて、選択肢の多い」ノルウェー人がうらやましいですね~。

「世界一快適な刑務所」の図書館

日本のバラエティー番組でも、シリアスな報道番組でも「ノルウェーの刑務所がいかに受刑者に快適な空間であるか」を伝えたことが度々ありました。
私はノルウェー留学中も日本でも、ノルウェーの刑務所をテレビで観たことがありましたが、「刑務所に入るんだったら、ノルウェー!」と思ったほどです。正直、オスロの学生寮より快適そうに映りました。
最近届いた新聞に、「刑務所図書館」について取り上げた記事があったのですが、とても興味深かったので、ご紹介しましょう(Aftenposten,2014年3月29日)。

まず、ノルウェーの「刑務所図書館」の利用率は非常に高いそうです。
図書館には専門の司書もいますが、記事ではハンガリー人の受刑者も紹介されていて、彼はパートタイムで図書館で働いているそうです。
「ある受刑者が”Prison Break”のDVDを借りたいと言ってきたけど、もっと最新の面白いシリーズがあると言って、”Breaking Bad”を勧めたんだ。」

海外ドラマに疎い私は、「Breaking Bad」をGoogle先生に尋ねたところ、Wikiで紹介されていました。
あらすじ読むと、これは犯罪ものではないですか!こういうジャンルって受刑者たちが観ていいのかしらん?と思ったのですが・・・

記事を読み進めていくと、「人気貸出本リスト」が載っています。
人気ジャンルは圧倒的に「ミステリ小説」です。
日本でも翻訳され、世界でも売れっ子ミステリ作家になったJo Nesbø(日本語表記:ジョー・ネスボ)は、複数の刑務所でランクイン!
さらに、「ノルウェーミステリの女王」ことKarin Fossum(カーリン・フォッスム)やスウェーデンのHenning Mankell(ヘニング・マンケル)なども人気があります。
他には、最新のノルウェー純文学もランクインしていますが、トロンハイム刑務所では「ノルウェー語・ロシア語辞書」と「コーラン」がランクインしているので、外国人の受刑者が多いことが推測されます。

専門司書のダーレンさんは、コメントします。
「彼らがミステリに興味を持つのは自然なことですよ。たとえ私は、他の本を勧めてもね。」
また元ジャーナリストで、「いかに人が犯罪に手を染めるか」を描いた本の著者ウストリさん(彼自身の本も刑務所で人気)もこう分析します。
「受刑者たちがミステリや類似のジャンルに興味を持つのは、理にかなっています。私の本は特に犯罪者側の視点で描いているので、より真剣に読まれるのではないでしょうか。」

図書館

町の図書館です

図書館には、本だけではなくDVDやCDも借りることができます。
DVDは前述の「Breaking Bad」が複数の刑務所で人気です。他にも、「Killing me softly」というDVDが人気なのですが、やはり分からなかったのでwikiで調べたら・・・
おお、あの「覇王別姫」の監督の作品だったんですね~。でも詳しく読むと・・・激しい性描写??でもあの監督ですから芸術作品なんですよね、きっと。

音楽について。
オスロ刑務所の一番人気は、「レ・ミゼラブル」でした。なんかいろいろな意味で深読みしちゃうんですけど・・・。
トロンハイム刑務所はメタル好きの受刑者が多いのでしょうか、「メタリカ」のCDが複数ランクインしています。
あと、「Swedish House Mafia」というバンドも人気がありますね~。「マフィア?」と反応しちゃいましたが、やはりWikiで調べると世界的に人気とのことで、深読みしすぎました・・・。
ドコモのCMにまで出ている「One Direction」とかは、ランクに入っていないので納得です。

このブログを書くにあたり、日本の刑務所図書館についてネットで調べてみたのですが、イマイチ現状が分からず・・・。個別の差し入れが多いということは分かりました。
いずれにしても、刑務所のあり方から、その国の一端が覗けるかも、と思える記事でした。

ノルウェーでの医療体験は?

こんにちは~。
ホントですか?松岡修造が帰国して、日本の気温が上がったっていうTLは・・・。彼はノルウェー人並みに体温が高いのでしょうか?

さて午前中のレッスンで「ノルウェーの医療」について読みました。
日本からノルウェーへ移住された方で、まず不満をもらすのが「ノルウェーの医療」です。
診察の予約がなかなかいない、専門医が足りない、ベッド数が圧倒的に足りない、などなど。

私はノルウェーに留学していたのは2年ちょいですが、診察を受けた経験は2回。
いずれも2回目の長期留学中です。
まず秋頃、咳ぜんそくのようになってしまい、1か月以上、咳込む症状にお手上げ状態になりました。
聞けば、オスロ大学構内に、学生は無料で診察を受けられるクリニックがあると聞き、特に予約をせずに行ってみました。

少し待って、診察室に入ります。
稲垣美晴さんの伝説的な本「フィンランド語は猫の言葉」にも書いてありましたが、ドクターとまず握手を交わして挨拶をした覚えがあります。ゲホゲホせき込みながら挨拶しました。
ノルウェー語で「どこが悪いのか」説明するのは難しいですよね~。
「咳が止まらない」旨を説明すると、女性ドクターは、日本のドクターのように、のどを見るとか、聴診器を当てるよりもまず、「血液検査」を始めるのには、驚きました!
「え~?採血??私がアジア人だから風土病でも疑っているの?」といろいろ妄想が広がります。
それから、喉を見て、聴診器を当てて・・・などとおなじみの診察に戻ったと思います。

「咳を止めるための薬を処方しましょう」ということになり、処方箋をもらいました。
ノルウェーでは、日本のドラックストアより販売されている薬の種類が少ないですね~。なのでノルウェーへ行かれる方には、「常備薬を持っていくこと!」をオススメしています。
で、やはりキャンパス内にある薬局で、処方箋を出したところ・・・
咳止めシロップとイソジンみたいなうがい薬が出てきました。「え?血液検査までやったのに、これだけ~??」と再び驚きます。
咳止めシロップは懐かしい味がしました。
劇的に体調がよくなることはなかったのですが、自然と咳がおさまっていきました。

2回目の診察体験は、年末に一時帰国後、西ノルウェーに住んでいる友人宅へ遊びに行ったときにありました。
なんと、段々、唇周りの腫れから始まり「しもぶくれ」になってしまったのです。最終的には、顔の下半分が「腫れた」という症状でしょうか。
満足に話せなくなり、焦った友達は電話帳でクリニックを調べて予約してくれました。きっと「緊急!」と強調してくれたのでしょう・・・。

しもぶくれ顔で待っていると、やはり握手・あいさつの儀式を終えて、「腫れる」という調べたての単語を使って、症状を説明します。
今度は血液検査はなかったのですが、「う~ん、アレルギーかな?」みたいなドクターも「診断名」はできずに、何も薬も処方されませんでした。
段々と腫れは引いていって、心底、「ほっ!」としました。しもぶくれのまま生きていくには・・・人生はあまりに過酷です。

後で原因を考えると、一時帰国中、友達の家で鍋料理を食べたのですが、貝を食べました。それに当たったのかも?と思いつきましたが、100%の確信はありません。

ま、これくらいで済んでよかった~としみじみ。
「簡単に医者にかかれない国だから、とりあえず自分で健康管理!」を肝に銘じて、かの地の人は暮らしているのでしょうね。