紅茶


ノルウェーについて雑談風に。
−ノルウェーのこと、児童文学のことなど−


町田市公民館を中心に活動している自主男女共生学級「ピッピのくつした」。
「子供の本から男女平等を考える」をモットーに、活発な活動をしているサークルです。
同上タイトルの講演会を、2002年1月22日に、町田市公民会で行いました。講師は、当サイトの発行責任者であるAokiです。
日本語に翻訳されている北欧の児童文学を、ほとんど読破されているメンバーの皆さんを前に、児童文学以外にも様々なテーマでお話をしました。同会の皆さんは、本ホームページでお馴染み「男女平等の本」の熱心な読者でもあります。


■講演サマリー

知られざる?ノルウェー

まず、皆さん方が「北欧」という言葉を聞くと、どんなイメージが湧くでしょうか?
白夜やオーロラ、フィヨルドといった、一種「神秘性」を帯びた「美しい自然」のイメージがありますね。
また、自然以外でいえば、「高度福祉国家」というイメージを連想される方も多いでしょう。事実、毎年、多くの日本人が北欧諸国の福祉施設などを視察に出かけます。
これらのイメージをあわせると、私たちは北欧に対して概ね、「好意的」なイメージのほうが、多いと思います。

では次に、この「北欧」という地理的カテゴリーについて考えてみましょう。
ノルウェー語で、「北欧」を表す単語は、「Norden」と言います。このNordenは、5つの国を含んでいますが、お分かりの方いますか?(なかなか難しい問いのようでした)。答えは、スウェーデン、デンマーク、フィンランド、アイスランド、そしてノルウェーです。
ノルウェー語では、もう1つ別の単語、「Skandinavia」があります。
これは、どの国を含んでいるかご存知ですか?(この質問も難しいようでした)。こちらは、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーの3カ国だけです。SASの略称で知られる「スカンディナビア航空」は、この3カ国共同で運航しています。
日本で「北欧」というと、このNordenとSkandinaviaが混同している場合が多いですね。

私の印象では、日本のマスコミなどで「北欧」と言葉を使うと、まず「スウェーデン」の名前が挙がることが多いと思います。
第2次大戦中、中立を保ち、戦争被害が少なかったため、戦後復興がスムーズに進んだスウェーデンは、「高度福祉国家」建設を順調に成し遂げ、世界的企業(ヴォルボ)、音楽(アバ)やスポーツ(ビョルン・ボルグ)を輩出し、また「ノーベル賞」を選考し、与える国として、注目される機会が多かったのでしょう。豊かでオシャレな国として語られることが多いです。

一方、「ノルウェー」はどうでしょうか?
残念ながら、「ノルウェー」という国について知る日本人は、少ないのが現状でしょう。
「ノルウェー語って言葉があるの?」と今まで、何回も聞かれました。実はノルウェーにも、世界的な有名人がいます。
日本の女性解放運動の歴史において、多大な影響を与えた戯曲「人形の家」のイプセン、「ペール・ギュント」の作曲家グリーグ、「叫び」のムンクなど。
ただ残念ながら、19世紀に活躍した人ばかりなので、若い方にはあまり馴染みのない人物かもしれません。最近では、日本でもベストセラーになった「ソフィーの世界」の作家、ヨステン・ゴーデルはノルウェー人ですが、そこまで知っている人は、少ないでしょう。
あとテレビでアニメになった「スプーンおばさん」もノルウェーの児童文学です。

よくノルウェー人の友達と話していたのですが、「ノルウェー人は宣伝が下手」なのかもしれません(例えば、フィンランドは「サンタクロースの故郷」というイメージを定着させることに成功。それが観光収入につながっている)。それが、ノルウェー人のいい面でも悪い面でもあるでしょう。


・  「ノルウェー文学」って?

簡単にノルウェー文学史を説明しましょう。ノルウェーの文学史を見ると、まんべんなく各世紀に文学作品が生まれたのではなく、作品がある時期に、偏りがあるのがわかります。

ノルウェー文学の黄金期は、13世紀19世紀です。まず、13世紀は、アイスランドサガなどで知られる「サガ文学」の興隆期で、たくさんの作品が生まれましたが、その後、400年間の空白期間が生じます。
というのも、14世紀に猛威をふるったペスト(黒死病)のせいでノルウェーの人口は激減し、国力は衰えます。そして、14世紀から19世紀まで、「連合」という名のもと、デンマークの統治下におかれ、知識階級・上流階級は、デンマーク語を書き言葉として用いるようになり、文化面においてもデンマークの統治下に置かれるようになってしまいます。

しかし、19世紀にはいり、ナショナルロマン主義運動がヨーロッパで盛りあがるにつれ、ノルウェーにおいても「ノルウェーとは?ノルウェー語とは?ノルウェーの文化とは?」と、自らのアイデンティティーを問いなおす運動が起こります。
そして、400年の空白をすごい勢いで取り戻すかのように、たくさんのすばらしい作家が誕生し、ノルウェーのみならず、海外へも作品は発表されました。

この頃、主流だった文学ジャンルは、「リアリズム文学」でしたが、ノルウェー文学史上、初めてリアリズム文学を発表したのは、女性作家のカミッラ・コレットです。彼女については、「男女平等の本」にも触れられているので、ご存知の方、多いと思います。
コレットの代表作「知事の娘」で、彼女が取り上げた問題は、「強制結婚」でした。当時、上流階級では当たり前だった「強制結婚」を非難し、「女性にも結婚する相手を選ぶ権利を与えなさい」と訴えます。
コレット以降も、イプセンを始め、ビョルンソンヒェランといった作家たちが、階級社会の偽善や、結婚生活のダブルスタンダードなど様々な社会問題を取り上げます。

フランスの作家エミール・ゾラで知られる「自然主義文学」は、ノルウェー文学にも影響を与え、女性作家アマリエ・スクラムが誕生。自身も強制結婚の犠牲者である彼女は、デビュー作で強制結婚のおぞましい実態を生々しく描写し、当時、スキャンダルにまで発展しました。
階級社会の偽善や、結婚生活のダブルスタンダードを非難する作品を書いた男性作家や、それを評価した男性評論家は、女性作家が同じテーマを取り上げると、反発・無視・激昂しました。ここに、彼らの限界を露呈していると思います。

20世紀に入ってからもノルウェーの作家は続々、誕生しますが、日本で翻訳され、大きな反響を呼んだのは、「ソフィーの世界」のヨステン・ゴーデルまで待たなくてはなりませんでした


・ノルウェーの出版界と翻訳事情

物価が高いノルウェーですが、本の値段も例外ではありません。値段は高いです。
人口が少ないせいもあり、売れる数が日本とは違います。10万部売れたら、「大ベストセラー」ですね。
ハードカバーは大体、3000円〜が一般的。ポケットブックでも1500円くらいからのものが多いです。ただし、日本の書店と違い、普通の書店でも、「セール」を行うことがあります。

出版社は、やはり日本に比べれば圧倒的に少ないです。大手出版社のグループ化が進んでおり、良心的中小出版社と思われていた会社も、実は大手の傘下になっていた、ということがままあります。
ク゛ルーフ°化は書店も同じ。郊外に続々、オープンしているショッピングセンターには、本屋が入店することが多いですけど、大体同じ系列店。市場の寡占化が進んでいます。

オスロにある「Tronsmo」という本屋は、そうした傾向に抵抗している本屋の一つ。大型店には見られないユニークな品揃え(同性愛、フェミニズム、発展途上国、漫画など)で知られていますが、2年ほど前、経営危機が表面化。
この書店を存続させようと、多くの作家、詩人などが新聞でキャンペーンを開始しました。昨年の夏には、まだ営業していたので、ほっとしました!

毎年、年末近くになると、その年に出版された本を紹介するカタログが、本屋さんに並びます。このカタログには、ジャンル別に本が分類され、私も本を注文する時の参考にしています。

ノルウェーにいる間、新聞に載る書評は、数多く目を通しました。
日本の新聞と違い、ノルウェーの新聞は、週1回だけでなく、何回か書評や作家のインタビューを大きく載せます。人口に比べ、多い新聞数(特に地方紙)。それほど有名でない作家、デビューしたての作家でも、書評に載る機会は多いです。

翻訳事情についてですが、「翻訳だけでは食べていけない」という言葉、日本だけではなく、ノルウェーでもよく聞かれる言葉です。
ノルウェー滞在中、ある人が、「あなたの親は金持ちなの?」と私に尋ねたことがありました。私が、翻訳に携わっていると聞き、翻訳家=貧乏と思っていた彼女は、私がノルウェーまで旅行できたことを不思議がっていたようです。リッチな親がバックアップしていると勘違いしてしまったのですね。
向こうの新聞報道によると、「ノルウェー翻訳協会」のメンバーは280人。そのうちフルタイムで翻訳している人は、たったの25人。平均年収は250万円...キビシー現実です。
ノルウェーの本屋に行けば気づくことですが、英語のペーパーバックやスウェーデン、デンマークの本がそのまま売られている場合が多いです。ノルウェー人は、英語が得意な人が多いし、日本のように「何でも翻訳」してくれるのとは違うでしょう。もともと翻訳する本の数が少ないことは確実です。

では、ノルウェー語から外国語への翻訳について。
ノルウェー文化振興方針として、「翻訳助成制度」があります。これは、海外でノルウェーのフィクション・ノンフィクションを翻訳・出版する場合、翻訳料を助成してくれる制度です。
ノルウェーの作品が多く翻訳されているのは、北欧諸国を除けば、ドイツ。「ソフィーの世界」は、ドイツでまず大成功を収めました。
その他、フランス、イタリア、東欧、ロシアなどヨーロッパ諸国が多いが、最近、中国でもイプセン翻訳や研究が進んでいるそうです。

日本におけるノルウェー作品の翻訳ですが、鴎外のイプセン翻訳が挙げられます。北欧文学は、明治・大正時代の知識人に、多大な影響を与えました(坪内逍遥のイプセン劇評論など)。
鴎外は、ドイツ語からの重訳でしたが、この重訳傾向は、今でも続いており、「ソフィーの世界」(ドイツ語)、「旅の終わりの音楽」(英語)、「ノルウェーの汀の物語」(フランス語)など、全て重訳です。
「ノルウェー語だから仕方ない」という諦めにも似た認識が、出版社、また当のノルウェー作家にあるのではないでしょうか。


・ノルウェー児童文学協会(Norsk barnebokinstitutt)について

今日の講演会のため、去年の夏、訪問してきました。
1979年に開設された国立の機関であり、。ノルウェー児童文学のインフォメーション・ドキュメンテーションセンターです。場所は、オスロのTronsmo書店のすぐ近所です。

同協会の仕事は、ノルウェーの児童文学を国内外へPRすること(ホームページは、こちらから)、グループ訪問受け入れ、アニュアルレポートや出版物刊行、セミナー開催、児童文学の研究および研究補助など。さらに、図書館(60000冊の児童文学協会蔵書)が併設され、、一般への貸出し業務を行っています。

また現在、「テキストの中へ」と題したプロジェクト運営も、行っています。ホームページに紹介された内容をお話しましょう。
同プロジェクトは、子供たちに読解力を身につけさせること、先生たちに新しい文学の知識をつけさせ、より良い文学の授業を行えるようにすることが目的です。
国からの援助を受け、南ノルウェーの小中学校をプロジェクト対象先にし、また地元の大学とも共同研究を行っています。
プロジェクト発足の背景は、子供たちがテキストを読む能力を身につける助けがなければ、どんなに良書であっても読まれない危険性があること、また、多くの先生たちは、新しい文学に関する知識が乏しく、授業法のメソッドが確立していない現状があります。

実際のプロジェクト進行ですが、対象となる生徒は、10歳から13歳。学校には、出版社から最新の本が50タイトル、各4冊づつ寄贈され、子供も先生も、新しい文学に触れることができました。読解力に問題がある生徒には、カセットブックが使用されました。
テキストを読んだ後、生徒は先生と、筆記の対話を行い、いろいろな方法でテキストを読む示唆を、先生のコメントを通じて受け取りました。
さらに生徒たちが、物語の続きを書いて、地元紙に掲載されたり、図書館に、本からインスピレーションを受けた絵や推薦文を展示したりと、プロジェクトは発展していきます。
国営放送のNRKのホームページに、何人からの生徒が書いた本の紹介文が載るようになりました。

さて、ノルウェー児童文学協会を訪問時に、質問を用意しました;
「”北欧児童文学”というカテゴリーを、日本ではよく使うが、”ノルウェーの児童文学”と限定すると、その特徴は何ですか?」という質問だったんですけど....応対してくださった方は、「難しい〜」と言われ、しばし絶句されてしまいました(苦笑)。
それでも何とか、「多様性」「ヴァリエーション豊か」といった単語が返ってきました。さらに、「社会的」という特徴も挙げました。確にノルウェーの児童文学は、移民社会の子供たち、離婚、障害者、マイノリティーといったテーマを、積極的に取り上げてきたので、当てはまると思います。
「ノルウェーの児童文学は、リアリズム、日常生活の物語が原点」と、専門書にもあります。

児童文学史を読んでみますと、50年代からの「ラジオ番組と児童文学の発展」が、見過ごせません。国営のラジオ放送で「子供の時間」という大人気番組が放送され、1953年には、94%の子供が聞いていたそうです。この番組は、音楽と物語で構成されていました。
同番組から、すばらしい作家が続々誕生します。「スプーンおばさん」のアルフ・プロイセン、これから紹介するアンネ・カット・ヴェストリー、また、「男女平等の本」の著者、アウド・ランボーさんのお母さんヒシュテン・ランボーさんも、同番組に出演していました。



・ Anne-Cath.Vestly(アンネ・カット・ヴェストリー)について

1920年生まれですから、82歳ですね、今年。「ノルウェーのおばあちゃん」の愛称があるほど、年代を超えて親しまれている作家です。
略歴を見ると、子供時代、何度も引越しを経験。シャイで人見知りをする女の子だったそうです。演劇に夢中になり、役者志望。実際に舞台に立ったり、また自分のために作品を書いたりします。26歳の時に画家のJohan Vestlyと結婚。彼は、後に彼女の本の挿絵を手がけるようになります。戦後始まったラジオ番組「子供の時間」に出演し、一気に子供たちの人気者となります。

作家としてのデビュー作は、1953年の「オーラ・アレクサンデル」シリーズ。彼女自身、子供を持ったのが、作品を書くきっかけとなったそうです。今日、紹介する「Z棟のアウロラ」(Aurora i blokk Z)は、1966年に発表されました。



・「Z棟のアウロラ」について

主人公は、アウロラという小さな女の子。彼女には、ソクラテスという赤ちゃんの弟がいます。
彼女の家は、当時としては珍しく、お母さんが外で働き、お父さんが家事を担当していました。一家が、舞台となるオスロ郊外の高層団地に引っ越してから、物語は始まります。タイトルのZ棟は、団地の棟の番号です。

まず、この作品で目立った特徴は、性別役割分業の交換を試みていることです。
お父さんは、歴史の博士論文を家で執筆中で、育児と家事を担当。お母さんは、法律家として、忙しく外で働いています。また、車の運転は、お母さんはできるが、お父さんはできない設定になっています。

こうした事情は、子供のアウロラにとっては「自然で当然」のことですが、だが、周囲の反応は、「変わった家」
お父さんが乳母車を引いて歩いているだけでも、好奇の目に晒され、あげく「かわいそうに!」と同情される始末。アウロラも、「可哀相な子」と、一方的に同情され、傷つきます。今のノルウェーでは、ごく当たり前の風景になっていますが。

また、団地の子供たちの描写から、ジェンダーの刷りこみが見えてきます。アウロラが、砂場でおもちゃの車で遊んでいると、「なんで女の子なのに車で遊ぶの?」と、同年輩の女の子たちが聞いてきますが、そうした疑問の裏には、大人の影響がありますよね。

作者のインタビューを読むと、家で仕事をしながら家事・育児をするお父さんに対して、自身の姿を投影していることがわかります。
お父さんは、一生懸命、一日の予定を考え、それを実現しようと努力していますが、赤ちゃんの育児や家事などを担っているので、思わぬ邪魔や中断が多くなってしまい、計画通りにはかどりません。これは、お子さんをお持ちの皆さんなら、よく理解できますよね。

そんなに苦労しているお父さんですが、近所の女の子が、家で論文を書いている彼に対して、「それが仕事なの?」と問いかけるシーンがありますし、また娘のアウロラも、「お父さん、朝早く、お弁当持って家を1回出てくれないかな?その後、また家に戻ってきてくれればいいんだ」とお願いしますが、これも周囲の人から「どうして、あなたのお父さんは、外で働かないの?」と言われて、うんざりしたため、そんなことを言い出してしまったのです。

それに対して、お父さんは、「人にはいろいろな働き方があって、僕は自分のやり方でやっているんだよ」と、アウロラに説明します。これは、やはり家事や育児をしながら、家で仕事をしている作者、ベストリーの声にも聞こえると思います。
特に当時は、「家でやる仕事」は、軽んじられていたのかもしれませんし、とりわけ、男性=外で働くのが当然だったので、周囲の戸惑いは、もっともでしょう。しかしながら、作者は、敢えてお父さんを家で仕事をさせることによって、いろいろな働き方を提示しています。

近所の人から、詮索を受けることが多いお父さんですが、家にいることによって、いいこともあります。普通だったら知り合えないような、近所の女性たちや、アウロラの友達たちと、交流を持つことができ、時には助けてもらうこともあります。
尊敬、ユーモア、そして距離感をもって、他人とつきあうことが大事!と作者はインタビューで述べています。

とりわけ、同じ団地に住む少年クヌートとアウロラ、お父さんの交流は、物語で重要な位置を占めています。
クヌートは、自分の父に関して一切、言及せず、母親は外で忙しく働き、孤独な生活を送っています。子供たちからは、恐がられる存在ですが、アウロラやお父さんとは、普通に付き合うことができます。
周りからすれば、「変わり者同士の交流」に映るかもしれませんが、“普通じゃない”人物に対して、作家は暖かい視線をそそぎます。
「アウロラ一家は特別ではありません。ただ周りの人達と少し違うだけ」とも、作者はインタビューでコメントしています。

物語の舞台は、戦後誕生したオスロ郊外の高層団地です。
今までは、美しい自然の田舎が舞台となった児童文学だが、ヴェストリーは、積極的に「美しくない」とみなされがちな場所を舞台に選びました。
高層団地には、様々な人が住んでいます。互いの出会い、それぞれを認めることの難しさ、大事さが伝わってきます。
多様性を認めることの大事さ、寛容の大切さを、強く感じることができました。
また、現代のノルウェーと比較して、時代背景や当時の様子を知ることも興味深いです。

当時と今では、家族のありようも変化してきました。
ノルウェー語で、samboという単語がありますが、これは結婚せずに男女または同性同士が暮らすことを意味します。
このsamboは、日本の「同棲」に意味は近いかもしれませんが、実態は異なります。ノルウェーでは、政治家や官僚、有名スポーツ選手や文化人といった人々でも、結婚せずにsamboを選んでいる人がいます。
つまり、世間的な認知や権威が、同棲よりsamboの方があるということですね。もちろん年配層の中には、samboに否定的な人もいますが、昨年、シングルマザーと結婚し話題を呼んだ皇太子カップルは、まず、samboを経てから、結婚へと駒を進めたので、「時代は変わったな〜」と感じるノルウェー人が多かったでしょう。
また、皇太子がシングルマザーと結婚というニュースは、ノルウェー国内のみならず海外でも報道され、話題になりました。
国民の大多数は、肯定的でしたが、私の周りのノルウェー人に聞いても、「別に二人のことだから構わないんじゃない」という意見が多かったです。この一見、無関心とも取れる態度ですが、これはノルウェーの国民性を表すキーワード「自由を求める精神」にもつながるでしょう。

この「自由を求める精神」は、他人の自由を認め、また自分の自由をかたくなに守ろうとする姿勢にあらわれていると思います。
ノルウェー滞在中、何人か日本人駐在員の方々と知り合いましたが、半ばあきれたように「ノルウェー人の残業嫌い」を、口にしていました。
向こうの始業時間は、朝8時や8時半と早いかわりに、15時半、16時と早く終わります。そして、時間になれば、さっさと帰ってしまい、日本の会社にあるような「お付き合い残業」などは、想像できないでしょう。特にお役所などは、終業時間1分でも過ぎれば電話が通じないのが一般的です。
仕事を終えた人々は家路を急ぎ、夏などは長い夜を楽しみますし、冬だったら、手軽にスキーをかついでクロスカントリーをやるのもいいでしょう。

私がノルウェー人の友達の家に居候していた時、窓から見たある光景が忘れられません。
近所の小・中学校が夏休みに入る前日のこと。外で、子供たちと一緒にお母さん、お父さんたちがドッジボールを楽しんでいました。時間は、確か午後の3,4時だったと思いますが、無理なく学校の行事に参加できる姿は、印象的でした。

多様な家族の有り方としては、「同性同士のパートナーシップ」も含まれます。ノルウェーは、デンマークに次ぎ、世界で2番目に早く同性同士の法的婚姻関係を認めました。最近では、ノルウェーの財務大臣が恋人の男性と、この関係を結んで、日本でも報道され、話題になっています。

先ほど挙げた「多様性を認める」ことに関して言えば、いろいろなことが含まれるでしょう。例えば、男性と女性の関係がそうですし、ノルウェー人と少数民族との関係、ノルウェー人と移民たちとの関係なども当てはまるでしょう。
もちろん、女性に対する差別、少数民族に対する差別、移民に対する差別は、ノルウェーにも存在しますが、絶えず、議論を行い、問題があることを忘れないようにしている姿勢を、滞在中、強く感じました。そして、制度や法律を作ったり、改正を行うことによって、多様に富んだ社会作りをバックアップしています。

アンネ・カット・ヴェストリーは、自分の作品の中で、積極的にジェンダーの問題を取り上げた功績から、ノルウェー最大の労働組合LOから、「男女平等賞」を受賞しました。
今でも、メディアに注目される機会が多い「ノルウェーのおばあちゃん」がこれからも、活躍することを期待しています。


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