人々の生活


●ノルウェー系移民 in USA ~その2~

さて人はどんな時に、母国を離れて外国へ移住するでしょう?
仕事、教育、結婚、または母国では安全が保障されないという難民もいます。
19世紀にアメリカへ渡ったノルウェー人の大きな理由は「貧困」でした。

19世紀のノルウェー。多くの人は農村で暮らしていましたが、土地を持っていた「地主」ではなく、小作人は条件の悪いわずかな土地を地主から借り、朝から夜遅くまで働いても貧しいまま。
そんな悪条件の農村でも、徐々に機械化が進み、小作人は不要になってきます。
工業化が進む都市部(クリスチャニア=当時のオスロの名前)へ小作人たちは仕事を求めてやってきますが、そこでも待っていたのは「貧困」と「重労働」でした。
今では禁止されている児童労働が行われ、男性は工場、女性は女中になって働くケースが多かったのですが、長時間労働と低賃金で富裕層たちに搾取されます。

そんな貧しい人々にとって、「アメリカへ行けばもっといい生活ができる」という謳い文句は魅力的に聞こえたことでしょう。
渡米先にアメリカへ移住したノルウェー人から「アメリカは素晴らしい!」と手紙を受け取れば、「自分も行こう!」とナイーブに信じてしまうのも無理からぬことだったと想像します。
結果、1825年~1925年までの100年間、約80万のノルウェー人が国を離れます。その大半の渡航先は「北米」でした。
この数字だけではピンとこないかもしれませんね。
1850~1900年の間、ヨーロッパで国民一人あたりの離国人数は、アイルランドに次いでノルウェーが2番目に多かったのです。

「その1」で書いたようにノルウェー系移民は、ミネソタ、ウィスコンシン、そしてノース・ダコダに集まりました。
アメリカへ行っても寒い土地に固まったのですね~。
では、アメリカでは本当に「いい生活」が待っていたのでしょうか??アメリカでの生活に適応できたのでしょうか?

もちろん、成功を収めたノルウェー系移民もいます。
しかしほとんどの人は、英語ができないため良い仕事につけませんでした。またアメリカ流に染まることよりも「ノルウェー人のコロニー」を形成していきます。
例えば、1910年、アメリカにおける「ノルウェー教会」の数は母国ノルウェーの2倍もの数があったのです!
つまり、アメリカ社会に適応するよりも、自分たちの組織やネットワーク作りに熱心だったことが分かりますね。
ではなぜアメリカ社会に適応しようとしなかったのか??
アメリカ系移民についての著書があるMørkhagen(ムルクハーゲン)の解釈はこうです。

「ノルウェー系移民たちは、アメリカ社会になじむにはあまりに道義的で率直過ぎた。特に政治的な場面では、信念を曲げても駆け引きが必要だったのに、それができなかった。」
(Aftenposten紙、2014年12月26日)

う~ん、やっぱりそうなのね・・・。なんか納得しちゃいます。
そして信心深いノルウェー人にとっては、アメリカは「モラルが堕落している」と映りました。若者たちのダンスでさえも議論の対象になったのです!
ノルウェー語のテキスト「Her på berget」には、新天地で失望したノルウェー系移民の手紙が掲載されています。
「英語ができないので、彼らに笑われるのがつらい」
「アメリカは偽りばかりで、だます人間が多い」
「皿洗いの仕事しかない。事務仕事を得るのは難しい」
「彼らの考え方は、私たちと全く違う」
「アメリカにいる女性は全然良くない。ノルウェーに戻ってちゃんとした女性と結婚したい」

・・・今、ノルウェーに住んでいる移民たちがこぼす愚痴のようですね・・・。
(つづく)


2015年1月13日
norway yumenet official blog 150113より転載しました-

←戻る


●ノルウェー系移民 in USA ~その3~

そもそも「アメリカのノルウェー系移民」について取り上げてみたいと思ったのは、「その2」でも引用したAftenpostenの記事がきっかけです。
昨年、Sverre Mørkhagen(スヴァッレ・モルクハーゲン)がそのテーマで3巻もの大作を刊行したので、Aftenpostenが特集を組み、「ふ~ん」と読んでいたのですが・・・・

知らないことあった!!と興味深かったのです。

まず、ノルウェー系移民はウィスコンシン、ミネソタ、ノース・ダコタなど五大湖周辺が多いという事実は知っていましたが、実は都市部に移住していたグループもいたのです。
その場所は・・・ニューヨークのブルックリン地区。
以前にノルウェー人女性が、ブルックリン地区でパン屋さんを開き、繁盛しているブログを書きましたが、かの地とノルウェー人は何か縁があるのでしょうか??

国旗さて、記事によるとブルックリンにノルウェー系移民が集まっていたのは、19世紀末、そして1950、60年代だったそうです。
そこでもノルウェー人たちは「自分たちのコロニー」を形成しました。ノルウェー人の店、美容院、カフェ、新聞、協会やクラブなど。
英語が特にできなくても、生活できる環境だったそうです。

モルクハーゲンさんのコメントで興味深かった点を挙げてみましょう。
こうしたアメリカ社会に溶け込もうとしない民族グループは、「本物のアメリカ人」(ってなんなのか良くわかりませんが)からすれば、「苛立ちの対象」となりえますが、ノルウェー系移民は他の同じような民族グループ、特にドイツ系移民に比べ、「それほど批判にさらされなかった」そうです。ドイツ系は特に世界大戦が影響していたようです。記事には言及はありませんが、日系移民にも同じことが言えるでしょう。

しかし、こうした「ノルウェー系コロニー」だけでの生活では、アメリカで「リッチになって成功する」は叶いません。
事業の成功には、まずアメリカ社会に「同化」し、アメリカ人と似たように振る舞う必要があります。
ですので「その2」でも引用したように、アメリカに馴染めなかったノルウェー人の手紙が資料として残っています。

ノルウェー系移民の貧困を裏付ける別の数字を挙げてみると・・・
ニューヨークにあった「貧者の家」の記録(1910-20年)に、そこで生まれたノルウェー系移民の子どもは454人にも上ります。
モルクハーゲンさんのコメントを再び引用すると、「貧困は際立っていました。死亡率も高かったようですが、その数字は私自身も他の人も把握できていません。」

・・・アメリカの地方でも都市部でも貧困だったノルウェー系移民。
ですが、成功を収めた人もいたのです!
(つづく)


2015年1月19日
norway yumenet official blog 150119より転載しました-

←戻る


●ノルウェー系移民 in USA ~最終回~

・・・なんやかんやと4回にまで長引いてしましました。
今まで、「辛酸をなめた」ノルウェー系移民について、焦点をあててきましたが、アメリカで成功した人たちもいるのです。

まずは、Hubert Humphrey(ヒューバート・ハンフリー)。
彼は、アメリカのミネアポリス市長から、第38代副大統領に就任します(60年代)。
南ノルウェー出身の両親が、サウス・ダコタに移住したみたいですね。ちなみにヒューバートは、民主党所属でした。

もう1人、政治的な成功をおさめた人物が、Walter Mondale(ウォルター・モンデール)。
出身はミネソタ州。カーター大統領の時代に副大統領になります。やはり民主党に属していましたが、1984年、レーガン共和党候補との大統領選で敗れます。

余談ですが、モンデールさんのことをなぜか覚えているエピソードが・・・。
まだ初期の頃の「本の雑誌」に、なぜかデーブ・スペクターが連載を書いていて、当時のアメリカ大統領選について、モンデール候補のことを「彼はノルウェー系移民だし、さえない
みたいなことを書いていたんですよね。
・・・当時、まだ中学生くらいだった私は、ノルウェーに「開眼」していなかったのですが、「ノルウェー系移民=さえない」という刷り込みがされました~。
実態はどうなのか、単なるデーブ・スペクターの偏見なのか教えて欲しいです!

改めて、このブログを書くにあたりモンデール氏のことを調べたら、駐日アメリカ大使を務めていたんですね~。ノルウェー語で話しかけたかったなぁ(←あらゆる意味でムリ)。

さらに「華麗なる一族の祖」が実は、ノルウェー系だったことをご紹介しましょう。
世界中にある「ヒルトンホテル」。
そのHilton の祖であるのは、August Halvosen Hilton(アウグストゥ・ハルヴォルセン・ヒルトン)だったそうです。
彼は、Hiltonホテルを築いたConrad Hiltonの父。ということは、パリス・ヒルトンにつながるんですね~~~!!(←ビミョー?)

今回のブログを書くにあたり参考にしたMøkehagen さんのインタビューを引用しましょう。
「August Hilton は、16歳でKlføta(注:オスロから近いAkerhus)の Hilton 農場から、ミネソタへ移住しました。そこから1880年代、ニュー・メキシコへ移ります。この辺りはまだ“未開の西部”でした。ほぼ無法地帯で、August は商いを始めます。危険な目に遭うこともあったようですが、彼はいつも命拾いしていました。彼のルールは”武器を持たないこと。武器を持っていない方が、生き残れるチャンスが大きい”でした。」

ノルウェー人らしい!!

オスロ大学・・・ということで、ノルウェー系移民と一言でいっても、たとえ移住したところは偏っていたとしても、人生はそれぞれですね。

~その1~で触れた「オスロ大学のサマースクール」は、そもそも「アメリカのノルウェー系移民」のために創設されたのです。
自分たちのルーツ=ノルウェーを見てもらいたい、という計らいだったのですね。
今では、国を問わずたくさんの学生たちが参加しています。

長丁場になりましたが、ご清聴=黙読、ありがとうございました~。


●ノルウェー人と紅茶

ノルウェーをはじめ北欧諸国は、圧倒的に「コーヒー党」です。
朝、起きてまずコーヒー。仕事中もコーヒー。来客にも当然、コーヒー。
北欧ミステリを読んでいると、登場人物のコーヒーガブ飲みぶりに「体、大丈夫?」と心配になるほど。

カフェタイトルは失念しましたが、10年くらい前に出版されたノルウェーの文化人類学者の本に面白い一説がありました。
ノルウェー人とコーヒーの関係を考察したもので、特に、田舎ではコーヒー以外は考えられない、と。
なので、田舎のお宅にお邪魔し、「すみません、コーヒー以外のものを頂けますか?」と頼もうものならば、主賓側はパニックに陥るほど、と書いてありました。
これは作者が実際にフィールドワークした結果のようです。
田舎に行けば行くほど、コーヒー以外の選択肢がない!というのが結論ですね。あ、水があった。

・・・ということで、コーヒーが苦手な人間は、ノルウェーではどうなんでしょう?
実は、ノルウェー伝道師を自称している割に、コーヒーが苦手なワタクシ。
ノルウェーのお宅に招かれて、「すみません、紅茶はありますか?」と尋ねる時の申し訳なさ・・・
普通のノルウェーのお宅には、「これいつ買ったんですか?」みたいなティーバッグがあって、それで何とかコーヒー以外の紅茶にありつけます。

一般のカフェやレストランでも、コーヒーの力の入れように比べて、紅茶の扱いは・・・「ぞんざい」です。
熱湯が入ったカップに、ティーバッグが添えられて運ばれてくるので、自分でティーバッグをちゃぽんちゃぽんする、という。それが●●クローネもするのはやり切れないですね~。
ちょっと高めのレストランだと、ティーバッグが恭しく木箱に何周類も並べられ、選ぶことができますが、どっちにしても自分で「ちゃぽんちゃぽん」行為は同じなのです。
ティーポットで出してくれるのは、本当にごくわずかな高級カフェくらいでしょうか・・・(あくまでも私の経験です)。

紅茶そんなマイナー感が漂う「紅茶」ですが、ここ数年、変化の兆しをオスロでは感じることができます。
例えば、カフェで「Te,takk! 」(紅茶、お願いします)とオーダーすると、「Hvilken te? 」(どんな種類のお茶?)と確認されます。
おお~~~、te に選択肢ができたんだ~!
こういう風に確認してくるカフェは、通常の紅茶以外にgrønn te(グリーンティー)が用意されています。

オスロで面白いショップがカフェがあるグルンネルッカ地区には、たくさんのお茶が販売されている「お茶専門店」があって、「ここまで進化したのか~」と感涙にむせったものです(←ウソ)。

紅茶専門店しか~し、油断してはいけません!向こうで流通されているgrønn te(グリーンティー)は、日本で飲んでいる緑茶とは味が違うのです。
大手リ●トン社が販売している「Grenn Tea」のティーバッグは、オレンジやレモンなど柑橘類が混ざっているので、飲むとフシギな味わい。
ただ、「あなたが来るから、ちゃんとGrenn tea を用意したのよ」と、嬉しそうにそのティーバッグを出してくださるノルウェー人がいるので、そういう場合はありがたく頂きます。
間違っても、「これは違う!」などとプロテストしちゃダメですよ~。



2015年2月10日
norway yumenet official blog 150210より転載しました-

←戻る


●素敵な年の重ね方~アウドさんの場合~

「ノルウェー人は仲良くなるのに時間はかかるけれども、友達になるととても親切だよ」。
その言葉通りなのが、もう20年近くのおつき合いになるアウドさんです。
アウド・ランボーさんの著書『男女平等の本』で翻訳と来日講演の通訳に関わったことがきっかけで知り合ったのですが、まさかこんなに長いお付き合いになるとは思ってませんでした。

アウドさんの家は、rekkehus(レッケフース)と呼ばれるテラスハウス。いつもノルウェーに行くときは、居候させてもらっています。

20150305-0

オスロの中心地からバスで20分くらいですが、前には大きな公園と湖があり、とても静か。鳥のさえずりで目が覚めるなんて・・・至福です!

アウドさんの一日は、規則正しいです。
朝。いい香りのコーヒーを飲みながら、たくさんの新聞をリビングで読んでいます。
私が起きてくると、「この記事は面白いから読んでみて」と勧めてきます。本音で意見を言ってくれるので、多くのことを学ぶことができたなぁっと。

いつも見習いたいな~と思っている点はたくさんあるのですが・・・例えば。
台所の棚には、ぴしっとアイロンがかかったランチョンマットや、たくさんのきれいなふきんが常備されています。
向こうの家では珍しく食洗機がないのですが、洗い物もマメ。夜寝る前に使ったグラスやカップは、ちゃんと洗ってから気が済まないようですね。
新聞や本、クッション、全てのものは「あるべき場所」におさめられています。

料理上手なアウドさんのお蔭で、ノルウェーのさまざまな家庭料理をご馳走になりました。
初夏に居候した時、旬のサバ(makrell)をさばいて、軽く小麦粉をまぶして焼いただけの一品は・・・おいしかった!

サバ料理

器用にサバをおろしながら、「魚をさばく」のはrense という単語なのね、と会話しながら教わりました。

アウドさんは「好奇心旺盛」です。
とりわけジェンダーの問題に関心を持たれていますが、ノルウェーだけではなく海外事例もたくさんの読書で知識を重ねている姿は・・・尊敬の一言です。
さらに、「読書会」に参加され、同じ本を読み意見を活発に交わしているさまを以前、拝見しました。みんな元気です!

読書会

他にも「コーラスグループ」に参加し、男性女性、いろいろな年齢層で様々な仕事の人たちと交流しています。

コーラスグループ

「もうずっと新しい服は買ってない」と出かける前に口癖のように言っていますが・・・。
白いブラウスや紺のドレスワンピースなどベーシックな服を、きれいに着こなされています。
私がいいな~と思っているのは、出かける前に、昔風なやり方で髪の毛にカールを付ける習慣でしょうか?
80歳を過ぎても、きれいなヘアスタイルやペティキュアなどを忘れない姿にも・・・尊敬の一言です!

150平方メートルもの家を一人で維持し、身の回りのことをこなされているのは大変だろうな、と想像します。掃除、洗濯、アイロン掛け、庭仕事などなどキリがないですよね・・・。
そこはノルウェー人。底知れぬ基礎体力と精神力!を感じます。
アウドさんの暮らしぶりはつつましく、贅沢ではないですが、でも豊かな暮らしだな、と憧れています。
「働かなくてもお金がもらえるなんて幸せ!」と年金生活を満喫。老後に年金がもらるの?と心配な日本人からすれば、夢のようですね~。
もちろん、アウドさんは何十年も教師として働いた「ご褒美」として年金をもらっているのですが・・・。

でもこんなに長くお付き合いが続いているのは、お互い「ユーモアのセンス」が似ているのも多いかな?のも一因かもしれません。アウドさんは社会意識が高くて真面目な人ですが、「ユーモアが大事」が口癖です。

たくさんの心に残る言葉がありますが、特にお気に入りは・・・
「女性が生きやすい社会は、男性にとっても生きやすい社会です。」
本当にそう思います。

偶然からできたご縁ですが、いつまでも大切にしたいですね~。
(写真嫌いなので、アウドさんの写真は載せませんでした。見つかったら怒られそうなので・・)



2015年3月5日
norway yumenet official blog 150305より転載しました-

←戻る


●北欧のアニキ=スウェーデン人がノルウェー人を変える?

「ノルウェーバカ一代」を自称していますが、スウェーデンやデンマークなど「スカンジナビア」についてはノルウェー人やノルウェーのメディアを通じて、フツーの人よりは知識・雑学があるかと思います。
日本では「北欧」とひとくくりにされますが、実際に北欧各国の人柄は、な~んとなく違うな・・・と感じてました。もちろん、とても似ている点の方が多いのですが。

さて、ここ数年、ノルウェー、特にオスロへ仕事を求めて移住してくるスウェーデン人が増えています。
なんで、「北欧のアニキ」がノルウェーへ?と疑問に感じられる方も多いでしょう。
あまり日本では知られていませんが、スウェーデンは意外と失業率が高いのです(スウェ=8.9%、ノルウェー=3.7%)。特に若い人たちの失業率はもっと高いそうな。ですので、言葉がほぼ通じるノルウェーへちょっと「出稼ぎ」感覚なんですよね~。

20150317-1言葉も風習も似ているスウェーデン人。
ノルウェーで簡単に仕事ができていいなぁ~、と思っていたら、実は「カルチャーショック」を感じるスウェーデン人がいる!という記事を発見しました(Aftenposten紙、3月7日)。むむ~??
オスロビジネスカレッジの准教授、ギリアンさんがノルウェー人とスウェーデン人の「違い」を指摘していますので、引用します。

スウェーデン人は、ちょっとしたおしゃべりや礼儀を持ってまずは「良好な人間関係」を築こうとするのに対し、ノルウェー人はそれらを省略して問題の核心を話したがる。

ノルウェー人にとって「良いサービス」=「迅速なサービス」。何でも早くやっちゃおう!のノリ。一方、スウェーデン人は共有する価値観を築くためにプロセス重視。話し方や振る舞いに注意を払う。

スウェーデン人は「みんなが賛成する文化」。全員の意見が拝聴され、結論を出すまで時間がかかる。ノルウェー人は結論は迅速に下され、決定するのは上司でもOK。

どうですか??
ノルウェー人との付き合いが長いので、私もすぐに単刀直入に話そうとする傾向があります(特にノルウェー人相手の場合)。「で、結論は?」と言いたくなる。ま、まずい!!
メールは時候の挨拶など一切抜きで、本題を書かないと読んでもらえないという強迫観念があります。きゃ、感染しちゃってます・・・。

・・・そしてギリアン准教授は違いを指摘した上で、こんな前向きな予測をします。

「スウェーデンは未だ経済が芳しくないので、ノルウェーへ移住するケースが増えるでしょう。たくさんのスウェーデン人がノルウェーの労働市場に入ってくることにより、ノルウェー人はもっと野心やモチベーションを持つようになるでしょう。」

なるほど~。優秀な競争相手ができれば変わる!ということですね。

同じビジネスカレッジの教授トルガルさんも同意しています。

スウェーデン人はサービス能力も高く、よく働きます。彼らの影響を受けてノルウェーの若者たちの仕事に対するモラルも向上するでしょう。」

なるほど~。スウェーデン人をお手本にして、ノルウェー人の労働意欲やモラルをUPさせる計画ですね。優秀な労働力を確保しつつ、ノルウェー人のお手本にもなってもらおう、と。一石二鳥です。

日本でも「ダイバーシティ」=「多様性」を取り入れようと考えている企業が増えているようですが、国籍や性別を問わずいろいろな人が働くことは、いい結果をもたらすようですね。少なくともノルウェーの場合は。

あとは、スウェーデンの景気が回復して、あっさりノルウェーを見捨てないよう遠く離れた国から祈るばかりです~。



2015年3月17日
norway yumenet official blog 150317より転載しました-

←戻る

 ←前へ

ホームへ戻る
Home