frosk
在ノル日本人による
リレーエッセイ
Vol.2
エッセイ【11】〜エッセイ【20】



エッセイ【11】
ハルデン便り(その5)
お手紙

                         ハルデン(Halden)在住・Wさんより

リレハンメル会議

3月の12日から15日まで、私の勤務する研究所が主催する国際会議が、リレハンメルでありました。テーマは原子炉の燃料・材料、それに人間・機械系に関わる技術全般ということで、20ほどの国からおよそ180人の参加者が集りました。職場からも100人くらいのスタッフが参加します。
会場は94年冬季オリンピックの(原田が失敗ジャンプをした・・・原田には悪いけど忘れられないですね、あれは)ジャンプ台にほど近いSASのホテルで、4日間みっちりと100編ほどの論文が発表されました。

私は幸いにも(?)別の会議や出張の準備などで忙しくて、木曜日の夜に開催された晩餐会にだけ出席しました。I am the smartest! という訳です。一般にノルウェー料理は前菜の海産物(鮭とエビが多い)が美味で、メインの肉はいつも、もう少し料理を工夫したらどうか、と言いたいことが多いのです。
残念ながら、事前にプールで目いっぱい泳いだのでこの上なく空腹だったにもかかわらず、今回の鹿も平凡な味でした。できれば鹿は刺し身にして、ニンニクの効いたソースで食べたかったです。フランスまで行くと牛や馬の刺し身があって美味いのですが・・・

食事の途中でスピーチがあります。スピーカーはとにかく笑わせてくれます。成人向きの小話や、いろんな国の悪口を種にしたジョークを正装した紳士淑女の前で平気でしゃべり、言われた国の人も一緒に大爆笑します。今回はフィンランドとフランスがやられてましたが、以前日本について、電話で流れる音楽(取り次ぎの最中に流れるオルゴールみたいな)をからかったジョークで大笑いしました。
あれは初めての欧州人は驚く、というか何のためにここでこういう音楽が鳴るのか理解に苦しむらしいです。ちなみに、最近の日本のトイレ(ふたが自動的に開いたりする)も初めての欧州人には相当な驚きのようです。なぜここまで・・・という。

気楽にしゃべっているように見えますが、裏で見ているとその準備と緊張は相当なもので、やはり晩餐会のスピーチには相当なエネルギーを使うようです。
でも隣国の国民の悪口がジョークになるような関係はいいですね。日本で隣国の悪口をネタにしたジョークを、正式な晩餐会で、その隣国人の前で言ったらきっと大変なことになるでしょうね。とてもジョークに向いた隣人だと思うのですが(これもまずいかな?)。

私のテーブルの給仕をしてくれた、かわいらしいフランス人(と本人が言いました)のウエイトレスが急に「ナンミョーホーレンゲキョー」というので驚きました。別にそれ系の信者ではなく、日本のブッキョーを勉強したことがあるのだそうです。
向いに座ったハンガリー人がこの娘に多大な関心を抱いてましたが、どうなったか。この親切なハンガリー人には後で極上のトカイ酒をもらったので、何によらずその意図は成功して欲しかったと願わずにはいられません。

食事が終るとバーでコニャックとなり、こういう機会にはできるだけいろいろな欧州人と話をして歩きます。ほとんど誰でもほぼ必ず面白い会話をしてくれます。彼、または彼女達の話好きは筋金入りだと思います。
今回は主にスペイン人の女性と無謀にもボルヘスについて話したりしましたが(まずボルヘスの発音が悪くて理解されるのに5分ほどもかかりました)、普段ワルキューレのようなノルウェー人女性を見慣れていると、スペイン人の女性の美しさには感動をおぼえます。
妍にして妖、かつ艶にして麗とでも言いますか。あの国の文明が作り出した傑作というべきでしょう。(いや、もちろんノルウェー人の女性はそれとして魅力的ですよ、あ、それから日本人の女性も言うまでもなく素晴らしいです。念のため。)

5月にはデンマークのロシルデで別の会議があります。私もそこでは論文を発表するつもりです。何かあればまたご報告したいと思います。


ふろく:晩餐会のジョーク

ある町で同じ日に2つ事件が起こりました。ひとつは85歳の男性が女性を孕ませてしまったというもの。もうひとつは猟銃の暴発事故で友人を射殺してしまったという悲劇。この町の新聞が事件を記事にしたのですが、2つの事件を混同して1面に次のような見出しを載せてしまいました。
「85歳が女性を孕ませる。本人いわく:弾丸が弾倉に残っているとは思わなかった・・・」

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エッセイ【12】
ノルウェーでの妊婦生活 その 2
お姉さん
                              オスロ市郊外在住・Kさんより

スウェーデン人の頑固な助産婦さん

ノルウェーでは、妊婦の健診責任を、一般医か助産婦のどちらかに選択できます。
健診料は、初診の時に100クローネ(約1300円)かかるだけで、後は無料です(なかには私立病院や婦人科専門医を選ぶ人もいますが、その時は健診料がかなり違ってきます)。
一般医は、妊娠に関する基本的な知識はありますが、専門ではないし、診察時間も15分と短いです。それに対して、助産婦は妊娠に関してはプロ!診察時間も30分と長く、親切に妊婦の相談にのってくれます。

また、一般医を選んだ場合でも、自分が希望すれば1時間、計3回の助産婦との時間がとれます。助産婦を選んだ場合、彼・彼女達は、医療的な診察(内診など)は医者に頼まないといけないので、必然的に、医者の診察が、何回かに1度行われます。
ただ保健所には、医者が常勤でない事が多いです。(私の住んでいる市の保健所には週に1回、医者がいます。)

実は、私がこの事を知ったのは、ずいぶんあとの事でした。
それまでは、医者と助産婦の両方に責任・担当してもらえると思っていたので、助産婦さんに予約を入れたのです。主人と私は、再びパニックにならないように、前もって質問事項をまとめ、当日にのぞみました。

助産婦さんは、優しそうな笑顔で私達を迎えてくれましたが、スウェーデン人でした。ノルウェー語も、ままならない私には、大問題!言葉が通じるかどうか・・・、まあ主人もいるし、どうにかなるだろうと、話を始めました。
彼女は優しく、かつ力強い口調で、全ての質問に答えてくれましたし、妊娠初期の注意事項も教えてくれましたし、妊娠に関する冊子も、3冊くれました。そして何度も、"妊婦さんが楽しく、健康に、安心して毎日を過ごす事が一番!!"と繰り返し言っていました。
そのおかげで、1時間の会話の後、私はさっきまでの不安が全てなくなり、100%安心して家に帰る事ができたのです。健診が妊娠10週目以降から、内診は12週目以降から始まる事に関して多少、心に引っかかる物もありましたが、まあノルウェーはそうなのだと考えるようにしました

しかし数日後、健診がそんなに遅く始まるのはとてもおかしい、とノルウェーで妊娠経験のある外国人の友人に強く言われ、単純で意志の弱い私は、再び不安におちいりました。

不安になったら最後、自分が納得するまで不安なので、また、次回の健診日があと2〜3週間後だったので、助産婦さんに電話をして、健診を早めてくれるように頼みました。
が、彼女は"誰を信じるかはあなた次第私は先日も話した通り、健診を今、始めるのは早すぎるので出来ない。"の一点張りで、全く取り合ってくれません。頑固と言うか、自分に自信と誇りを持っていると言うか・・・。
でも、やっぱり私は不安だったので、それからはインターネットで調べたり、妊娠経験のあるノルウェー人達に聞いたり、できる限りの情報を集めました。そして、近所にある一般診療所は良いと聞き、早速、予約を入れたのです。

そして、やっと始まった健診。担当のS先生は、キャリアウーマン風の優しい人で、健診内容も大体、日本と同じ様子でした。私は、すでに妊娠9週目でしたが、これでようやく妊婦生活を楽しめるかな?と安心したのをよく覚えています。

自分の健診担当を、一般医か助産婦のどちらかに選ばないといけない、と知ったのはこの最初の健診後です。医学のプロか、妊娠のプロかを選ぶのに結構、悩みましたが、結局S先生を選びました。理由は簡単。診療所は家から徒歩5分、助産婦のいる保健所は車で10分。緊急時にすぐに行ける所の方が安心と思ったからです。

S先生は面倒くさがらず、親身になって話を聞き、すぐに対処してくれるので、自分の選択は正しかったと思ってます。しかし緊急時には、診療所もあまり役に立たなかった、としばらくして知るのでした。

つづく・・・

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エッセイ【13】
ノルウェーでの妊婦生活 その3
お姉さん
                         オスロ市郊外在住・Kさんより

初めての救急病院

妊娠初期の妊婦にとって、いくつかの恐い事の1つが流産です。流産の徴候としては、下腹部の痛みや、出血があります。

私は、妊娠13週の時に出血してしまいました。日本とノルウェー、両方の本に、出血には胎児にとって、危険な物とそうでない物があるが、自分では判断できないので、必ず医師の診察を受ける事、と書いてあります。
そう書いてある通り、果たして流産なのか、心配のない出血なのか、自分ではとうていわかるはずもなく、でも出血は少量で、寝る直前だった為、とても心配でしたが、様子を見る事にしました。

翌朝、恐る恐るトイレに行くと・・、出血はまだ止まっていません。そこで、S先生に予約を入れる為に、診療所の開く時間まで、がまんして待ち、主人に電話してもらいました。しかし、電話は一向に、つながりません木曜日なのにお休み??仕方なく、救急病院へ電話をすると、担当主治医へ連絡を取るように言われ、再び診療所へ電話。何回かかけて、やっとつながったのは良いものの、肝心のS先生は1日不在なので、救急病院へ行くように指示されます。
でも、1度断られたと説明すると、診療所から救急病院へ連絡しておくから行きなさいとの事。遠回りをしましたが、こうしてようやく救急病院まで、たどり着きました。

便利な事に、救急病院は、家から車で5分の所にある県立総合病院のすぐ横にあります。受付けで、問診表を書かされ待つ事 40〜50分
スウェーデン人のお医者さん(一般医)に呼ばれ、診察が始まりました。問診、触診、内診の結果、出血は胎盤からではなく、子宮口からなので心配ないとの事。でも念の為、総合病院の婦人科に電話をして、確認してくれました。すると確認の為、診察するので、直接、この後、婦人科へ来るようにと返事を頂きました。

私は、特に心配ない、と言うお医者さんの言葉に安心していた事もあり、"ラッキー"と心の中で思いながら、婦人科に向かいました。ノルウェーのお医者さん曰く、妊婦の2人に1人は出血を経験するそうで、その為かどうかわかりませんが、出血したと言ってもすぐに見てくれる事が少ないみたいです(本に書いてある事と矛盾しますが、ここではよくあります)。
現に、知人が妊娠初期に出血した時、担当の助産婦に電話をするとよくある事だから大丈夫と言われただけで、診察してくれなかったそうです。だから、お医者さんの診察を受けた上に、専門医にまで見てもらえるなんて、とても"運がいい事"なのです。
少なくても、私はそう思います。

婦人科では、とても、とても親切なスウェーデン人の女医さんが、以前から予約をしている患者さんの前に、少しだけ時間を取って、私を診察してくれました。5分ぐらいの本当に短い診察でしたが、内診+超音波検査までして下さり超ラッキー!!
基本的にノルウェーでは、何も問題がない限り、超音波検査が妊娠17週頃に1回しかありません。だから、予定外の超音波検査で、babyが動いている姿を見る事ができ、とても感動しました。おまけに、先生が無料で超音波写真を1枚くださり、主人も私も、さらに感動!とても嬉しかったです。(たった1回の超音波検査の時は、希望者に50クローネ=600円で写真を撮ってくれます。)

診察結果は?婦人科でも全く心配なし、でした。
救急病院では、診察料として110クローネ(1500円)払いましたが、心配のいらない出血とわかりましたし、婦人科では思いがけないプレゼントも頂けましたし、心のもやもやが晴れて良かったです。

つづく

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エッセイ【14】
西ノルウェー便り(その4)
ノート
                         西ノルウェー(Vestlandet)在住・Rさんより

グループワーク

少し古い資料になるが、あるオランダ人が世界的に行った調査によると、ノルゲ人は個人主義なのだそうだ。
その調査で、個人主義第一位の国はアメリカ、ノルゲは13位、日本は22/23位(50ケ国、3地域)。それぞれの近隣国を見てみると、デンマーク9位、スウェーデン10/11位、韓国43位(中国は調査対象外)。また、日本と肩を並べ、22/23位なのはアルゼンチン。21位はインド。
確かに、日本人は団体行動が得意だし、一連の学校生活を振り返っても、協調性が第一で、他人と違う行動はあまり好まれなかった。ノルゲの教育方針は個性重視、創造性・積極性に重点をおくと言う。

それなのになぜだ、と思うのが、gruppearbeidである。Kollokvierと呼ばれることもある。なんとなく想像つくであろうが、gruppe=グループ、arbeid=仕事・作業で、グループで宿題等をすること。ノルゲでこのgruppearbeidなしに学校生活を送ることは不可能だ。この形式はgruppeeksamenという名で、試験にも応用される。

ホイスコーレに通い始めて以来、たくさんgruppearbeidをしてきた。最初は、このgruppearbeidがとても辛かった語学力に限界があるので、グループの話し合いに参加しきれない、またそれによりグループに貢献できないという悲しさから、留学生は最初みな辛い思いをする(ここでいう留学生はタンザニア人、ケニア人、ガーナ人、ラトビア人、リトアニア人、シリア人、ベトナム人)。
言葉に慣れるに従い、私はgruppearbiedの度、よく頭に来るようになった。たまたま私が関わったグループがそうだっただけかもしれないが、イライラしたのは仕事の進め方というか、段取りの悪さだ。
大抵いつも、締め切り前日、最悪締め切り当日課題を仕上げる、というパターンが多かった。締め切りまで、3ケ月期間があろうと3週間であろうと、本格的に課題にとりかかるのは締め切り一週間くらい前である。
私はいつも、「一体いつになったら課題にとりかかるのだろう?」とひとり不安になり、同じグループの人によく、「XXの課題について話をしなければならないのでは?」とはっぱをかけるのだが、締め切り直前にならないと誰も本腰を入れない。締め切り2〜3日前になると皆あせって課題に取り組み、一気に課題を仕上げる。いつもいつもこんな感じで、もっと計画的に物事を進められないものかと、イライラするのであった。

なぜgruppearbeidか?個人主義の国でなぜこの方法に力を入れるのだ?
私は、このgruppearbeidを共同作業的に考えていたのだか、どうやらそれは間違いである。力を合わせて問題を解決することにはかわりないが、その過程は私の考える共同作業とは異なっているのである。
グループで作業を進めるというと、私の頭の中には自動的に「力を合わせ問題解決=一致団結」というような考え浮かぶ。もしgruppearbeidをグループ作業と訳せば、この言葉から私は、連帯感や集団・団体行動を連想する。同時に、それらに伴う責任感みたいなものも自然と沸いてくる。全ての過程において、皆で一緒に話し合いながら作業を進めていく、というのが私の考えるグループ作業だ。

ノルゲ人はどうやってgruppearbeidをするか?
まず、話し合いをする。この話し合いで課題の方向性を決め、課題の細分化を行う。その後、彼らは、それら細分化された課題をグループの人数で割る。そして各個人が割り当てられた分を、責任持って仕上げる。最後にパッチワークのように各個人の仕上げた課題をつなぎ合わせる。結果として一つの課題が出来上がるが、時に一貫性のない仕上がりになることもある。

このサイトの編集者であるAoki氏の通ったVolda Collegeに私も通ったのだか、そこの先生がノルゲの学校について話をした時、「ノルゲではgruppearbeidが当たり前で、既に小学校一年生からgruppearbeidです。どんなに嫌いな人同士であっても一年間同じメンバーです。こうすることによって、如何に一緒に作業をするか、またその難しさも学んでゆくのです。」と誇らしげに語っていた。

私には、このgruppearbeidが、共同作業と言うより、責任の分配のように感じられる。ノルゲ人は小学校から始まるgruppearbeidを通じて、如何に責任を分配するか、また、如何に合理的に物事を進めるかを学ぶのではないかと思う。
もし課題の一部が、不適当だった場合、グループで仕上げた課題でもグループ全体で責任を負うことはあまりない。その部分を担当した者が基本的に責任を負う個人主義に基づいたgruppearbeidである。

私はこのgruppearbeidが嫌いだ。
一体、いつになったら作業を始めるのだろうと心配したり、締め切り間際、ヒステリックに他のメンバーと作業したりするより、一人淡々と作業をしたほうがよっぽどいいと思う。ある日クラスで「私はgruppearbeidが嫌いだ。」と言ったら、他のノルゲ人は「どうして?」と驚いていた。他の留学生は私と同感で、ノルゲ人とのgruppearbeidは嫌いだと言う。そしてその理由も似たりよったりだ。
今現在、一つこのgruppearbeidを抱えている。もうあせってもしょうがないとわかっているので、今回は他の2人がやる気になるまで待っていようと思っている。

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エッセイ【15】
ノルウェーでの妊婦生活 その4
お姉さん
                         オスロ市郊外在住・Kさんより

満足度85%!

ノルウェーでの医療制度が、日本と違うのでこれまでに随分、戸惑いました。
特に自分が必要な時に、パッっと行きたい医院に行きにくいのが、私にはまだ慣れません。骨折しても、高熱が出ても、花粉症になっても、とりあえず一般医で診察を受けて、必要な時にのみ専門医へ送られる、というのが不思議です。
しかも、予約がすぐに取れにくいので、軽い風邪の場合などは、医者に行かず自力で治した方が良い、と言う人も多いみたいです。福祉国家として名高い?ノルウェーなのに・・、と思う事もしばしばあり、主人とも話し合います。

主人は、特に妊娠の場合は病気ではないし、基本的に、初診料の100クローネのみ自己負担であとは無料なので、必要最低限のサービスしか医者も助産婦も提供出来ない、と言います。
だから、スウェーデン人の助産婦さんも、必要がないと言われている妊娠10週以前の健診はしたくなかったし、超音波検査も1回で充分なんだそうです。
ただし、自分が望めば、私立病院等で公立医院以上のサービスを得られるけれども、その分、金額もはずみます
また、流産・早産になりそうだったり、妊娠中毒症で重症になったり、と問題があれば必要に応じて特別の検査をしてくれます。私も、S先生が胎児の成長に疑問を持ったため、総合病院で、超音波検査を妊娠35週の時受けました。

しかし例えば、妊娠して最初の血液検査で、色々調べる中の1つに、トキソプラズマ抗体検査があります。妊婦がこれに感染すると、胎児の目や頭に障害が出る事があるそうです。
こちらの妊娠・出産冊子には、トキソプラズマ検査で陽性だった場合、妊娠3ヶ月までに適切な処置をすれば、胎児に影響が出ないとあります。でも、妊娠10週目以降に検査をして結果が出るのが、妊娠4ヶ月頃。その時、陽性結果が出てもすでに遅いのです。

こうした矛盾に出会う度に、ノルウェーの制度に対し疑い深くなりますが、それでも、ノルウェーで妊婦生活をおくる事ができて良かったな、と思っています。満足度85%ぐらいでしょうか。

その理由の第一に、主人の協力があります。彼もノルウェー人なので、自分が愛する国を守る為?私がノルウェーの医療制度などに対して、不満をあげるとそれに反対したり、聞く耳を持たなかったりする時も、あります。
でも、健診には必ず同伴して、言葉などフォローしてくれたり、問題が起きれば色々と調べて解決案を探してくれたり、と常に協力してくれるのでとても感謝しています。
主人の仕事も、勤務時間など融通がきくので健診などの時間に合わせられる等、私にとってはとても便利です。

第二に、ノルウェーの方が妊婦に対して自由・のんびりしている事があります。(のんびりし過ぎているという意見もありますが・・)。
特に体重管理に関して、日本の妊娠百科ではたくさんのページを使い、事細かく指導していますが、こちらの冊子には体重増加の目安と健康的な食生活をしましょうと書いてあるのみ。多少、体重が多く増えても、先生、助産婦は何も言いません。甘い物が大好きな私にとっては、誰からもお小言を頂く事なく、過ごせるのが幸せです。

1ヶ月ぐらい前の新聞記事には、4人に3人のノルウェー人妊婦が自分の大きなお腹&妊婦姿に満足しているとありました。また、アメリカの大都市に住む妊婦は、産後の体型戻しが一番気がかりなのに対し、ノルウェーではそのような傾向が見られないとも書いてありました。
これも、医者からうるさく細かい事を言われるストレスがない結果なのでしょうか?それとも文化の違いなのでしょうか?また事実かどうかわかりませんが、何年か前のノルウェーでも体重管理がとても厳しかったが、拒食症問題が増えてきたのでそれを中止した、と言う事も聞きました。

また、こちらは個人主義の国らしく、何でもあり!みたいです。出産方法なども、妊婦の希望を病院側で出来る範囲、受け入れてくれます。妊婦が周りに気兼ねしたり、病院の方針に従ったりする事もないので、気が楽なのかもしれません。

出産予定日まで、あと約1ヶ月となりましたが、このまま大きな問題無く、無事に出産までたどり着きたいものです。ノルウェー風にのんびりしながら・・・

つづく

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エッセイ【16】
ノルウェーでの妊婦生活 その5
お姉さん
                         オスロ市郊外在住・Kさんより

両親学級

ノルウェーにも、自由参加の両親学級があります。
プライベートの機関や県の保健所・総合病院などで行われていますが、各場所によって金額や日数が異なります。また開始時期もそれぞれ違うので、早めにチェックしておかないと、行きそびれてしまう事もあります。

私達は、S先生から「両親学級を受けたかったら、妊娠5ヶ月過ぎ頃に申し込めば良いでしょう」と、言われていましたが、その頃、日本へ帰国していたので、申し込みが遅れてしまいました。
一番近くの保健所に問い合わせた時には、私の出産予定日頃にしか両親学級が開かれないとの事。そこで、少し離れた所にある保健所でしたが、ちょうどタイミングよく始まる両親学級があったので、そこで受ける事にしました。

その両親学級は毎週水曜日、18時から20時まで全4回行われ、2人で800クローネ(約1万1千円)でした。
プログラムは、第1回目が出産について。第2回目が、出産方法麻酔などの種類出産後について。第3回目が授乳について。第4回目が、親になる期待や心構えでした。

第1回目。集まったのは8組のカップル。まず始めに自己紹介という事で、名前と出産予定日を順番に言っていきました。最初のカップルが言い終わった時に、助産婦さんが妊婦さんに向かって;初めてのお子さんですか?
妊婦:はい
助産婦:(旦那さんに向かっても)初めてのお子さんですか?
旦那:はい
助産婦さんのこの質問の仕方が、典型的な今のノルウェーだなー、誰が初婚なのかバツいちなのか子連れ結婚なのか、または未婚なのかわからない社会なんだなーっと実感しました。

前半は、助産婦さんより、予定日近くから出産までの一般的な知識と情報提供。後半は、ビデオ鑑賞。ビデオ内容は、2例の出産シーンと出産を終えた人達の感想でした。
スウェーデンで撮られたものだったので、何を言っているのかわかりませんでしたが、出産時の痛さはよーく伝わってきました。またここは流石、北欧。隠すことなく全てが写っているので、リアル感200%!勉強になったというより、妊婦さんの叫び声が恐かったと言う印象です。

第2回目。助産婦さんから、本日のテーマについて本や冊子にも書いてある様な知識と情報の提供。自分で本などを読む手間が省けるかな、と言った感じでした。

第3回目。ノルウェーでは完全母乳の傾向がとても強いので、2時間全てを授乳について当てたのを、納得しました。

まずは、授乳についてのビデオ鑑賞。ビデオ内容は、数年前までは母乳派より粉ミルク派が圧倒的に多かったノルウェーが、今日に至るまでの過程から始まり、色々なポイントや利点などがわかるものでした。
その後、保健婦(出産後は、保健婦が助産婦に代り指導・担当してくれる)から授乳について一般的な知識と情報の提供。でも、当然私は授乳経験がないので、いまいちピーンと来るものがありません。保健婦さんが何度も母乳が出るようになるまで、とにかく焦らず時間をかけて!と言っていた事だけ頭に残りました。

第4回目。小児科医と保健婦さんを交えて、これから親になる事に対して意見交換をしました。でも全員が初めての子供なので、産まれるまでは何も分からない、実感がない、という感じでした。
しかし、そこはノルウェー人!リレーエッセイ・Rさんの西ノルウェー便り(その4)の中にもありましたが、gruppearbeidで育ってきているのでまとまっているわけではありませんが、色々な意見などが出てくる出てくる!結局2時間以上、雑談して終わりました。

日本の母親・両親学級について読んだり聞いたりしてみると、出産時の呼吸法、赤ちゃんのお世話の仕方(沐浴方法、オムツの取り替え方など)、妊娠中の食事指導など実際に役に立つものが目立つのに対し、ノルウェーで私達が参加した両親学級は、理論中心だったような気がします。自分で本を読めば、行かなくても済んだような・・・。
他のお父さん・お母さんの卵さん達と知り合いになれるきっかけにはなったのでしょうが、私達は2人して人見知りするタイプなので、それもできなかったし。
まあ、両親学級を経験して良かった、という事にしておこうかなと思います。

今は、いつ産まれてもいい時期になりました。まだ赤ちゃんを迎える準備が終わっていないので、ちょっと焦ってますが・・。次回は、出産報告になると思います。ではその頃にまた!
Takk for at dere har lest mine essayer!!

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エッセイ【17】
ハルデン便り(その6)お手紙

                         ハルデン(Halden)在住・Wさんより

ロスキレ会議

今回はノルウェーでなく、デンマークの話です。
5月14,15日、デンマークのロスキレ(Roskilde)で、開催された国際(ただし、ノルディック地域限定)学会に参加する機会がありました。学会のテーマは、わたくしの専門とするところで、ちょっと面白い結果が得られた物件もあり、論文など発表もしました。
なお、ノルディックというのは、本来、人種(いわゆる北欧系の金髪碧眼長身の連中)を意味する言葉らしいのですが、ここでは実質的に、スカンジナビア3国とフィンランドのことです。
この学会は隔年で、この4カ国が持ち回りで開催します。

これに因んで、今回はまず、これまで体験した北欧と日本の学会、あるいは学界を比較してみて、思ったことを2点だけ書いてみましょう。もちろん話はわたくしの属する理工系の某学会(界)に限られます。

1.日本では、論文発表者が(日本の)お役人みたいに、しぶーい背広でとても素敵にドレスアップして、(日本の)お役人の国会答弁みたいな、とっても魅力的な発表をする。
参加者も同様にドレスアップして、静かに聞いている。会場は厳粛な雰囲気が支配し、飲食などはじめたらつまみ出される(と思います。試みる勇気はわたしにはありません)。

北欧では、ジーンズから背広まで、発表者も含めて参加者の服装はめちゃくちゃ(暑い時に裸足になった参加者がいた)で、子供が会場に入ってきたり、膝の上で論文発表を聞いていたりする。
持ち時間を大幅にオーバーするのがいる。逆に短すぎるのもある。要するに、統制が全くとれて無い。会場での飲み食いも全く自由にできる。さすがに酒類は無いが、ソフトドリンクス、チョコレート、果物などがテーブルに用意されている。

わたくしは、物心ついてからずっと、統制されることが嫌いで、家庭では親に、学校では教師に手を焼かせる扱い難い子供でした。
この性向は、大人になっても変わっていませんので、北欧に転職してみて、イチローじゃないですけど、一度死んで天国に生まれ変わったような気分です。まあこの点については、単に好き嫌いの問題かもしれません。

2.日本では、民間企業を含む大部分の研究機関において、研究予算が市場から調達されるのでなく、社会主義的にトップダウンで配分される。
このためか、学会では、プロジェクトの経過報告みたいな淡々とした発表が多い(それで国会答弁のようになるのかな?)。質疑応答は、極めて紳士的な雰囲気で行われる。

北欧では、研究者は、常に成果を市場で売る(これは非常に端折った言い方です。具体的にはいろいろな形式があります)必要があるため、学会の場で、自分の研究の新規性、成果の利点を、執拗なまでに聴衆に分からせようとがんばる。
学界発表は大道芸に似たものになる。競争相手のコメントは、時に辛辣なものがあり、発表者を追いつめることもしばしば。

これは、かなり重大な問題を孕む違いだと思います。
わたくしの意見をここで言うのは止め、もう少し様子を見たいと思います。ただ、正直言うと、もう自分は当事者でないので、日本の研究開発活動の進め方について、差し迫った関心が無くなってしまいました。

さて、こういう集まりでは、いろんな連中に会えるのが楽しみです。
とりわけ今回は、スウェーデンの研究所に客員で来ている、モスクワ・クルチャトフ研究所のロシア人2人と話し込みました。
わたくしと、同僚のノルウェー人と計4人で、(免税の)ウオッカとコニャック合わせて、2リットルを用意して、ホテルの部屋で夜中の1時まで(これでも私は、次の日が発表だったので早めに切り上げたのです。残念ながら)。

私が思うに、こういう席でロシア人ほど話して面白い連中はいません(逆なのがスウェーデン人でしょうか)
「君は史上最強の兵器の名前を知っているか?」「もちろんそれは水爆だろう?」「いやいや、それはレーニンと言うのさ。その効果たるや、70年間も続いて1億人以上もの人間が、殺されたんだから」とか、ソ連と現在のロシアを批判するそのジョークは止まることがありません。レーニンの遺体(今でも保存処理が続いている)に関する、かなりブラックかつスプラッターなジョークも。

この時のロシア人研究者の一人は、RBMK炉の専門家で、チェルノブイリ事故の直後に現地で、調査に加わったそうです。おかげでその方面でも、興味深い話がいろいろ聞けました。
運転員が、自分たちのしていることの意味を全く、理解していなかったということですが、この点、JCOの臨界事故と何と似ていることでしょうか。

蛇足1:
ロスキレの大聖堂に行ってみたら、ところ狭しと豪華な棺桶が置いてありました。10世紀から続く、デンマークの国王夫妻と王族のものだそうです。
確に100以上ありますが、いくつかは、夜中に中身が起き上がるんじゃないか?心臓に杭を打っといた方がいいと思うのは、わたくしだけでしょうか?

蛇足2: 
朝、ホテルの近場の公園を、5月の太陽を浴びながら散歩しました。
頬は清々しいピンク色、口元にミントの香りが漂い、額にはわずかの汗と本日分の手付かずの知性が輝く・・・というような状況を想像して下さい。いや、実際はともかく、そういう気分に人をさせるような朝だったのです。
で、坂を上り詰めると、ベンチに早くも出来上がったイイ顔(根本敬参照)の親父2名が。
当然捕まり、"What a beautiful morning ....." とかで始まる歌を聞かされ、それから時計を気にしながら無駄話、酒臭い抱擁・・・欧州ではよく男性に抱擁されますが、白人の男性って脂肪が厚いので、結構触りごこちがいいですね。
でもこういう交歓って好きです。旅の醍醐味のひとつじゃないでしょうか?

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エッセイ【18】
西ノルウェー便り(その5)ノート

                         西ノルウェー(Vestlandet)在住・Rさんより

試験が終わった

試験が終わった。嬉しい。

日本ではよく、受験勉強がマラソンに例えられたりするが、私は試験のたび何度も、オリンピックの10種競技や、水泳で四種目をこなす選手のことを考えた。
今回は、試験のしくみとその様子、個人的感想を書いてみようと思う。

学校は秋・春に分かれた2学期だ。
秋学期 8月下旬〜12月中旬まで(試験期間:11月下旬〜12月中旬まで)
春学期 1月初旬〜6月中旬まで(試験期間:5月初旬〜6月初旬まで)

それぞれの試験期間のすぐ後に、追試期間に入る。
ホイスコーレでは一年間で、20単位(20 vekttall)を習得しなければならない。2年間なら計40単位、3年間なら計60単位必要だ。
これらの単位を習得しなくても、別にいいのだが、その場合、学校を卒業する際、正式な卒業証書がもらえない。事実、クラスメートの中には、ある科目がどうしてもクリアできなくて卒業証書がもらえないでいる生徒や、また、はじめから単位が足りないのを知っていながら、苦手な科目は、捨ててしまう生徒もいる。
基本的に一科目2単位だが、科目によっては4単位、8単位、中には一科目で10単位などという科目もある。一科目2単位の場合、その科目は一学期で終わる。一単位あたり一学期中30時間が授業時間としてあてられているようだ。
なお、一学期は15週となっている。科目によっては、学期中に課題を提出し、その課題が承認されないと試験が受けられないものもある。

2単位科目の試験時間は、通常3時間。単位が増えると、試験時間も長くなる(4単位→試験時間5時間等)。
例外もある。Hjemmeeksamenと呼ばれる試験があるが、この場合、30時間、72時間等の試験時間になる(hjemme=家eksamen=試験)。

評価は1.0から6.0で、1.1、1.2、1.3…と細かく分かれている。合格ラインは4.0。1.0が一番いい。4.1は落第だ。落第しても、同じ科目を3回まで受けなおすことができる。また、よりよい評価点を取るため、試験を受けなおすことも可能だ。
評価点ではなく単に合格・不合格という評価もある(bestått/ikke bestått)。
理数系(regnefag/realfagと呼ばれる)の科目は、1.0をとるのが可能で、文系(lesefagと呼ばれる)は、2.0よりよい評価を取るのは難しい、と生徒達はよく言う。また、lesefagは一夜漬けが可能だが(注:ノルゲ人のみ)、regnefagは日々の努力がものを言う、ともよく言っている。同感だ。

試験は試験監督によって進められる。これら試験監督は、ほとんどが年金受給者で、試験前に新聞などで募集が行われる。生徒数10人位に対し2〜3人の試験監督がつく。
試験後1時間は、誰も席を離れることが許されない。試験後1時間経ち、もうこれでOKと自分で判断すれば、持ち時間を使い切らないうちに解答を提出し、試験会場を後にしてもよい。
ちなみに、申請してそれが認められれば、試験時間の延長も可能だ。
私はいつも、辞書の使用と試験時間の延長を申請し、利用してきた。ただ今回は、母国語がノルゲ語ではないとしても試験時間の延長は認められない、ということでだめだった。
赤ちゃんがいる生徒も試験時間の延長を申請できる。つまり試験中、赤ちゃんにミルクをあげたり、オシメを交換したりするための時間が与えられるのだ。

一般の生徒は、最高10分間の休憩時間が取れる。3時間の試験だと、トイレ休憩くらいで十分だが、5時間以上の試験ともなると、タバコ・コーヒー休憩を取る生徒が多い。その際、試験会場を出るのだが、試験監督が一緒についてくる。トイレまでついてくる。さすがに個室に一緒に入ってはこないが、人によっては、個室のドアのすぐ前に立っていたりするので、どうも落ち着かない。
タバコを吸っている生徒の横に、コーヒー飲んでいる生徒の横に黙って立っている。彼らは生徒が不正行為をしないよう見張っているのだ。基本的に口をきいてはいけない(と思う)のだが、話好きのおばちゃんなどは、たわいのない話を始めたりする。食べ物・飲み物は持込可で、コーヒーやコーラ・水と共にチョコやmatpakke(おべんどう)を持参する生徒が多い。

1科目2単位で1年20単位というと、10科目の試験があることになる。たいてい、秋・春5科目ずつだ。私個人としては、各試験の間に、1週間くらい時間があるというのが、理想的な試験日程だ。そうすると、次の試験に向けての調整がやりやすい。
最悪なのは、例えば今日試験があり、あさってが次の試験というパターンだ(今までのところ2日続けて試験だったことはない)。どの科目も試験範囲は広く、平気で本丸々2冊が試験範囲ということも珍しくない。
個人差があるだろうが、私の場合、一つの科目に全力投球すると、その試験が終わった後、気持ちの切り替えが難しい。また、一つの科目だけに、勉強時間を使うわけにもいかない。如何に時間を、各科目に配分するかが結構難しい。特に、試験と試験の間が短ければ短いほど、そしてそれぞれの科目の関連性が薄いほど、調整は難しい。

それで何度も、オリンピック10種競技の選手のことを連想してしまうのだった。一つの科目が終わる。自分で出来具合はなんとなくわかる。落ち込んだりする間もなく、次の科目へ気持ちを切り替えなければならない。ペース調整が上手くいかないと、試験も上手くいかない。試験中も然り。一つの問題に集中しすぎたり、苦手な問題に戸惑ったりすると、全てが上手くいかない。如何に試験に向けて、完璧に準備を整えるか、そして如何に、自分の力を出し切るか。ひとつ終わるごとに、どれだけ気持ちの切り替えが上手くできるか。まったく陸上の10種競技や、水泳の個人メドレーのようだと私は思うのだった。

今学期は、一科目あたりの単位数が多かったので、試験は3つだった。だがそうすると、試験範囲が膨大で、何を覚えていいのか困ってしまった。
それでも私は、どんな問題が出るかを予測するのが上手いような気がする。というより、日本人は試験の「傾向と対策」を練るのが得意なのではないだろうか。厳しい受験のため、常に試験の分析をし、傾向を予測し、対策を練るという一連の行為に慣れているとでも言うか。
Aoki氏がOsloに滞在中、この話を何度かしたが、Aoki氏も同じ意見であった。そしてAoki氏も予測が上手かった。
試験の対策に関して、日本人はノルゲ人より勝っているのかも知れない。

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エッセイ【19】
ハルデン便り(その7)お手紙

                         ハルデン(Halden)在住・Wさんより

ノルウェーの3人男 - THREE IN NORWAY, BY TWO OF THEM

J. A. Lees および W. J. Clutterbuck による "THREE IN NORWAY, BY TWO OF THEM" という本を、何となく入手しました。 J. G. TANUM 社の "TOKENS OF NORWAY" シリーズの一冊です。英語版(原著)で、まだ4分の1程しか読んでませんが、なかなか面白いので、いいかげんにではありますが,ご紹介したいと思います。

この本は,1880年代初期に書かれたもの。ヨートゥンハイメン山地を主な舞台とした、英国人によるノルウェーの旅行記です。

19世紀後半は、英国人による冒険的な旅行の時代。例えば、エドワード・ウインパーのスイスアルプス・マッターホルン初登頂が、1865年のことでした。我が国にも、ウオルター・ウエストンという英国国教会の牧師がやってきて、日本アルプスを始めとする高山地帯を探検しています。

以下、地名などノルウェー語は、原著者の綴り通りにしますので、現在の表記とは異なる部分があることを、あらかじめご了承下さい。

7月の始め、主人公たちは船で、ロンドンからクリスチャニア(当時のオスロの名前)に渡ります。そして鉄道で Eidsvold まで行ってから、船で Mjoesen 湖Lillehammer まで行きます。この船が例のつい最近まで現役だった Skibladner で、当時すでに、建造後30年近く経っていたのです。

Lillehammer から現地人を雇い、カナディアン・カヌー、テント、ライフル銃、弾薬、釣竿などの大荷物を持った、徒歩の行程が始まります。ここで英国人が「原住民」に手を焼く様子が記述されます。

「彼等(ノルウェー人)は、途方も無く怠惰であり、急がせることは不可能である。急がせようとして怒って見せたり、はっぱをかけても、彼等をよりゆっくりにするだけである」

「ノルウェー人の子供たちは、英国の水準から見たら、何も食べていないに等しいにもかかわらず、エネルギーに満ちていて、休むことを知らない。彼等は15歳くらいから、まともな食べ物を与えられるようになる。それと同時に、エネルギーを失って、以後年とともに衰えるだけである」

ノルウェーの食べ物については相当に辛辣な意見を述べていますが、私がノルウェー人なら、英国人に言われたくないなあ、ときっと思ったでしょう。

「ノルウェー人の大人は、あまりものを食べないように見える。英国人に比べたら、ずっと量的に少なく、それも最悪の食べ物しか必要でないと思われる。そしてそれを、ナイフの端に乗せて口に運ぶのである。あらゆる食べ物は、それが新鮮なうちに食べるということはせず、発酵後、あるいは酸っぱくなってから食べる」

"Fladbrod" については
「他に食べ物が無く、非常に空腹であれば、バターを付ければ食べられる」と。
しかし、と著者たちは、続けます。


「このように怠惰であることと、不味い食べ物(原文では nasty food とまで言っています)に対する嗜好だけが、ノルウェー人の唯一の欠点である。彼等は、馬鹿がつくほどの正直者で、その親切さと優しさは並外れている」

私は現在でも、ある種のノルウェー人を急がせることは、不可能だと感じています。

また、ノルウェーの食べ物が nasty であると主張する人が、非常に変わっているとは思いません。そして、少なくとも私の親しく接するノルウェー人は、例外無く並外れて親切で、優しいと思います。

さて、一行はその後 Lillehammer から Trondhjem 街道(現在のE6)を北上して、すぐに Laagen 川を渡ります。現在の国道255を "Espedals Vand" まで行き、この湖をカナディアン・カヌーで渡り、 Sikkildal を経て Gjendin にキャンプを設営し、英国紳士のスポーツたる鱒釣りとトナカイ・ハンティングに励みます。そして随所に、ノルウェー人たちが、断りも無く主人公たちのテントを覗きこむ様子や、ノルウェー人がキツツキを大事にする由来を語る民話など、様々なエピソードが語られます。

1977年に NORTH SEA PRESS / GROENDAHL PRODUCTION から出版された "JOTUNHEIMEN" という書物に、英国人によって書かれたスカンジナビアを舞台とする文学作品で、後世に残るものが2つある。それは、シェークスピアの「ハムレット」と、本書「ノルウェーの3人男」である、と書かれています。これは、いくら何でも誉めすぎと思いますが、楽しめる本であることは確かです

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エッセイ【20】
ノルウェーでの妊婦生活 その6
お姉さん
                         オスロ市郊外在住・Kさんより

祝!出産報告

●金曜日 午後12時半

「 あれ?おしっこがもれた??」
ご無沙汰しました。5月に無事出産を終えたKです。
久しぶりなのに、突然こんな文章で始まり失礼!でもこれが、私の出産のスタートでした。

先輩ママさん達から、「破水は、おっしこが自分の意志と関係なく、もれるような感じ」と、聞いていましたが、まさにその通り。
「いよいよだ!」
でも破水から出産までは、時間がかかる為、県立総合病院の産科(以下、病院)へ連絡しても、「まだまだ大丈夫」と家で待機するように言われると思い、とにかくまずは、主人の職場に電話。

30分後、主人が帰ってきてから病院へ連絡。すると私の思いとは反対に、健診をするので来院するように言われました。
健診後は、絶対に家に帰らされるよね・・。と主人と話をしながら、でも念の為、入院に必要な荷物を持って病院へ。

●午後1時半

県立総合病院の2階、緊急集中治療室の横にあるのが産科。出産も、「緊急事」なので、このような配置になってるとか・・。

まずは、お決まりの握手をしながら挨拶を助産婦さんと交わしてから、健診がスタート。
ノンストレステストといって、胎児の心音と陣痛の様子を調べる検査を約20分、血圧測定、尿検査、触診(胎児の位置確認)をした結果、正常との事
でも触診の時には、助産婦さんが赤ちゃんがつぶれてしまうのではと思うぐらいお腹を力強く押すというか、こねくりまわす様に触るので心配しましたし、私もとても痛かった!
近くで見ていた主人もビックリ!!。
最後に破水の色のチェックという事で、助産婦さんと一緒にトイレに入りました。すると今まで薄いピンク色だったのが緑色に変わっていたので、助産婦さんの顔色も変わって、いったん検査室から出て行き、戻って来た時の返事は、「このまま病院で待機」でした。

陣痛が5分間隔にならないと、病院へ来る許しがもらえないノルウェーだと思っていたのに(日本は10分)...。
まだ破水だけで、陣痛すら始まっていなかった私は、意外な展開に主人ともども、事態を飲み込めずに呆然。せっかく、陣痛の痛みを紛らわせる為に見ようと、日本語のビデオを知人から借りていたのですが・・・。

大きなダブルベッドが、とても小さく感じられる程のお風呂・トイレ付きの大きな分娩待機室に案内され、そこで主人と2人。
テレビがないので、本を読んだり、記念撮影をしたりしましたが、ちょっと退屈。陣痛も来るのですが、規則的になりません。

時々、助産婦さんが木の筒のようなもので、赤ちゃんの心音を確かめに来ました。このレトロ風なやり方を聞いてはいましたが、実際にやられるのは初めてで、とても興味津々。
赤ちゃんの心音を聞いてみたいと、主人も挑戦しましたが、全く聞こえなかったとの事。きっとプロにしか出来ない技なんでしょう。

レトロ式と平行して、近代式なノンストレステストも何回か行いましたが、胎児の心音には異常がなかったのでまずは安心。

緑色だった破水の色も、少しずつ本来あるべき色に戻り、これまた安心。

結局、陣痛は不規則のまま、痛みだけやってきました。予想を上回る痛さに、根性無しの私は、妊娠中、麻酔を使う事に抵抗があったにもかかわらず、すぐに意見を変え、助産婦さんに麻酔を使いたい事をお願いしました(部分麻酔なので、意識があるまま出産する事が出来る)。

●午後11時

就寝。

●土曜日 午前8時

たしか朝までに陣痛が規則的にならなかったら、陣痛促進剤を打つと言っていたはずなのに、いくら待っても、誰も来ません。ちょっと不安

●午前9時半

お腹も空いたので、朝食の催促と共に様子を伺ってみると、どうやら分娩室は満室状態らしく、私達はすっかり忘れられた存在だったみたいです。(朝食配膳まで忘れるなんて!出産は、体力が勝負なのに・・・。)
きっと破水に色が着いていたという異常も途中でなくなり、赤ちゃんの心音も正常との事で、助産婦さんも安心していたのでしょう。

●午前11時

もうすぐ破水が起きてから、24時間経ってしまう、と思っていた頃、やっーーーと私の担当助産婦さんが、部屋に来てくれました。すぐに分娩室に移され、最後のノンストレステストを行いました。
「さあ、やっと始まるぞ!」という時に、初めて産婦人科医(女医)が訪れ、握手して挨拶。彼女は表情ひとつも変えずに、ノンストレステストを見て一言。「帝王切開ですね」

●午前11時半

「えっ???」
帝王切開にする理由は、赤ちゃんの心拍数が異常に高くなったから、と簡単に説明されましたが、 突然の事に、私は何も考える間も、主人と話す間もなく、即、手術室へ。テレビドラマの中の出来事のように、ベッドに乗せられたまま移動している時も、これから何が起きるのか、頭の整理がつきません。しかし手術室では既に、二人の看護婦さんが用意万端で、私を待っていました。

まずは握手して挨拶。その後の私は、お姫様がたくさんのメイドに囲まれ、頭の先から足の爪先まで、きれいに着飾ってもらうかのように(?)、同時進行で両手に点滴用の針を何本か刺され、胸には脈拍などを見る為、タコの吸盤のようなものを何個か付けられ、頭に帽子をかぶらされたりなど、瞬く間に、手術用スタイルになりました。
極めつけは麻酔。下半身のみの部分麻酔だったのですが、背骨に針を刺され、その時の感触は、思い出すだけでぞっとします。
私の緊張をほぐそうと、看護婦さん達が笑顔で、「ノルウェーには何年住んでいるの?」など、たわいのない会話をしてくれるのですが、私の心はそれどころではなく、体の震えが止まりませんでした。

お腹の上にカーテンが引かれ、下半身は見えなくなり、麻酔も効いてきて手術が始まります。しばらくして、「お腹に力を入れて!力んで!」と、看護婦さんから命令され、お腹に感覚がないのにふんばれるのかな?と、思いつつふんばりました。2〜3人の看護婦、助産婦さん達も、私のお腹をグイグイと、思いっきり押します。

●午前11時58分

「おぎゃーーー!!!」

産まれたあ〜。

産声が聞こえて5分ぐらい経ってから、担当助産婦さんが、まだ産湯につかっていない息子を連れてきてくれました。感激、感動の対面です。思わず涙がこみ上げてきました。
でもその感動もつかの間、息子は産科の待合室にいる主人のもとへ運ばれ、手術は続けられます。

縫合になると、少なくても8人はいたスタッフが3人になり、雰囲気も和やかになりました。
でも3人が笑い声を交えながら、和気あいあいと、5月17日(憲法記念日の日)について何をするのか、天気はどうなるのか、皇太子の婚約者は王宮のバルコニーで挨拶するのか等、話しているのを聞くと、そんな事話しながら、私のお腹をちゃんと縫ってくれてるの??と心配・・・。

かなり、長い時間をかけて行った縫合が終了した後は、麻酔が覚めるまでの様子を見る集中治療室の観察室へ移されました。
担当助産婦さんが産科から戻ってくると、「あなたの旦那さんが、赤ちゃんを抱いたまま離さずにいますよ」と、教えてくれました。後から聞いた話によると、主人は息子を渡されたものの、新生児を抱くのは初めての為、渡された時の状態のままでいるしかなかったとの事。
しかし息子を抱きながら、やっと安心する事ができ、嬉しかったそうです。

●午後1時

両手に点滴,鼻には酸素用チューブ、下半身は感覚ナシの動けない状態でしたが、やっと主人と息子に再会。産まれたんだなあ・・、これがお腹の中にいたんだなあ・・と、しみじみ実感できました。

長かったけれど、あっという間に終わった出産。
自然分娩ができなかった事は残念ですが、母子ともに元気だったので満足です。でもあの時、どうして破水に色が着いてしまったのでしょうか。
助産婦さんも、「原因はわからないが、もしかしたら赤ちゃんがお腹の中でうんちをしてしまったのかも?」と言っていました。
そこで私と主人は密かに、一番初めの触診時、こねくりまわされたから、赤ちゃんが驚いてうんちをしてしまったのではないか、と思っています。

さあこれから親子3人、未知の世界へスタートです。
この続きは、またのんびりと報告させて頂きます!

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