ポースケの旅・後編
〜ローロスへ〜
さて、ポースケの旅の後編は世界遺産の町、ローロス(Røros)のご紹介です。この町の概略は前編で書きました。トロンハイムからローロスへの移動は列車で約2時間半の旅になります。二両編成の小さな列車でしたが、車窓からの風景を楽しみながらあっという間に到着しました。
トロンハイムが海に面しているのに対して、ローロスは海抜628mの内陸の山間部にあります。そのため列車が町に近づくにつれて、白く残雪に覆われたところが増えていきます。4月とはいってもノルウェー北部ではまだまだ雪が降り続いている季節で、さらにローロスは冬季の気温が非常に下がることでも有名な地域なのです。過去の最低気温は氷点下53度だそうです・・・・・。どんな寒さかご想像できますでしょうか?残念ながら私は体験したことがないのでご説明できません。おそらく戸外でお湯をまけば、氷になって降ってくるほどの寒さのはずです。ただ、この冬は暖冬でしたので天気予報を見ていてもそれほど気温が下がった日はなかったと思われます。
気候のことを書いたのには訳があります。前にも書いたようにローロスは銅の採掘が起源となった町です。しかしながら、それほど寒さの厳しい環境下での労働作業は、どんなに大変なものだったか想像するに及びません。これからご紹介するローロスの町並みは、確かに世界遺産になるほどの趣のある美しい風景ですが、単なる美しさだけではなく、その背景にある人々の生活そのものを感じとって頂きたいのです。そしてまた、「保存」されている家々に今なお人々が生活し、自分たちの景観を守り続けていることのすばらしさをお伝えしたいのです。

これは過去の写真・・・・
ではありません。ごめんなさい。ちょっと写真をセピア調に加工してみました。ローロスのイメージがあまりに現代を忘れさせられる町並みでしたので。
ローロスの町中のどこから見ても、ひときわ目立っているのが写真中央のローロス教会です。まさに町のシンボルで「絵になる」教会です。
町の中には、見るからに古い民家がたくさんあります。1923年に町の最初の家並みが保護指定を受けてから、かなり多くの建物が指定を受けました。住民たちは自分の持ち家であっても好き勝手な改修をしてはいけないそうです。1980年には町全体がユネスコの世界遺産に指定された為、1981年には建造法という法律によって保護されることになりました。
印象的だったのが、民族博物館でしか見られないようなログハウスタイプの古い民家であっても、窓辺がかわいいカーテンや花々で飾られ、人々の生活の匂いが感じとれたことです。中には家の半分は年期の入った木造であり、半分は古い部分に準じて新しい木材で修復してあるような家々もたくさん見かけました。
古くなるほど味わいが増して、落ち着いた色調になるのは木造ならでは特徴でしょう。木は腐ってしまうと思われがちですが、きちんと手入れをすれば長い歳月を生き続けられるという証を見たような気もしました。これは日本にも共通した文化のひとつではないでしょうか。木の文化、是非とも大切にしたいものです。
ローロスの景観の中で一つだけ私が落胆したことがあります。それは左上の写真にもちょっと写っていますが、美しい町並みの中心を通る道路の路肩にぎっしり停められた車と、そこに廃棄ガスを撒き散らしながら通り抜けていく車の、あまりの数の多さです。便宜上仕方のないことと言ってしまえばそれまでですが、せっかくの風情が台無しになってしまっていたのも事実です。ローロスに限らず地域の環境を計画していく時には、交通の流れにどう対処するのかを考えることが非常に大切だと痛感しました。ましてやローロスは世界遺産の町並みなのですから・・・・・・。
町の象徴ローロス教会は、1650年に建てられた木造教会が1784年に石造に改装されたものです。地方の教会としては大きい方で1600の座席があるそうです。
教会の鐘楼には交差する2本ハンマーが描かれていて、地元の人たちは「鉱山街の飾り」と呼んでいたそうです。
銅の精錬によって廃棄された小石が積み上げられて出来た山、労働者たちの古びた木造住宅、それらを見下ろす白亜の教会、これらが現在のローロスの価値を高めている町の伝統的な財産なのです。
銅の製錬所は現在、ローロス博物館(Rørosmuseet)として保存されています(写真中央下)。最初の精錬所は1646年に造られたそうですが現在残っているのは後年のもので、1977年にローロス銅工場が倒産した時に国が買い取ったものです。
精錬所の裏手には廃棄物の石の山が広がっていて、誰でも立ち入って登ることが出来ます。どこからコースとつながっているのか、この石の山を歩くスキーで降りてくる人々がいたのには少々面食らいました。(ポースケ休みにはスキー旅行をする人が多いことは既にお話しました。)
精錬所の脇には川が流れていて、そこに架けられた木造の橋も当時のまま姿です。石の山に登ってローロスの町を一望した時、銅の採掘に頼って生きてきた小さな町の歴史が重くのしかかってくるような感覚に襲われました。実はこの町の労働者の多くは、当時、全ヨーロッパ的に対外貿易による富国強兵政策が推進される中で、ノルウェー国王がドイツ・ザクセン地方などから大量に受け入れた移民たちだったそうです。食物も乏しい厳しい労働環境下でありながら、彼らは母国に帰る事も許されずにこの地に骨を埋めざるをえなかったと言います。現在のローロスが多くの人々を魅了して観光地として栄えていることは、そういった町の歴史的背景と視覚的情景が共に訴えかける何かがあるからに違いありません。
ローロス博物館の内部の様子です。
左上と中央の写真は銅の精製の為にどれほどの鉱石が掘り出され、どれほどの木材が燃やされて森林が破壊されたかといったことをわかりやすく説明している展示物です。目の不自由な方の為に、実際に手で触れるようになっていたのには感心しました。
その他の写真は、鉱石が掘り出されるまでの仕組みを、模型によって展示してあるものです。動力として使っていたのは人力、水力、馬力、火力でした。実物のように模型が動くので楽しく学ぶことが出来ました。
ローロスでは、1644年から1977年までの333年間に、10万トン以上の銅と52万トン5000トンの黄鉄鋼が生産されました。まだ銅があるのですが採算が合わないので採掘していないそうです。
民家の一角に、母屋とおそろいの犬小屋を発見。
かわいいユーモアのセンスに惹かれて思わず写真におさめてしまいました。まさかこれも法律で保護されている対象の建築物??
ポースケ休み最終日のローロス駅。
スキーを持って帰路につく人々の姿が目立ちました。(雪不足であまり快適なスキーは出来なかったと思いますが・・・・・)
最後に余談をいたしましょう。
写真左と中央は今回利用したリゾートホテルに設置されていた子どもたちのための遊び場です。(隣の部屋でした。)撮影したのは誰もいない時間だったのですが、時にはたくさんの子供たちがやってきて大騒ぎをしていました。
ノルウェーには子どもたちの利益の代弁者を努める「子どもオンブズマン」が存在します。(1986年に国会で法律化。)子どもオンブズマンは政治家や行政官が子どもの利益となる施策を確実に追求するよう見守る役割を負っています。このホテルの遊び場が法的に義務付けられているものなのかどうか私は知りませんが、ノルウェーが子どもに優しい国であることは十分ご理解頂けるのではないでしょうか。(日本人の私から見ると、子どもたちを甘やかしすぎではないかと思うこともしばしばあるのですが・・・・・)
写真右はホテルが子どもたちに配っていたお菓子の入った卵で、ポースケの定番のプレゼントです。私もほしそうに見ていたら頂くことが出来ました。冒頭で書いたようにノルウェー人たちにとってポースケは特別な日です。ホテルでも様々なサービスがありました。ポースケアフテンと呼ばれるポースケ前日の土曜日の夜には、全ての人々が正装をしてホテルのポースケディナーを楽しんでいました。(実は私はディナーがついていることすら知らずにレストランへ行き、さらには周囲の人々の格好を見渡してびっくり・・・・子どもたちまで正装していて恥ずかしい思いをすることになりました。)
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