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青木順子のブログです。
気ままに更新しますので宜しくお付き合いくださいね。

Blog~青木順子が綴る日々雑多なこと~

ノルウェーのヒーロー

Tiden flyr! 時が経つのは早いで~す。あっという間に日曜日。そう、「ビジュアル強化ブログ」の日です。
本日の1枚はこちら!

切手

はい・・・ノルウェーの切手です。
今週、受け取った郵便物に貼ってありました。
さ~て、この切手は何がモチーフでしょう?
はい、ノルウェー人が大好きな冒険家のThor Heyerdahl(トール・ハイエルダール)です! 日本では「ヘイエルダール」の方が知られていますが、発音は「ハイエルダール」の方が
近いかなぁっと。

ノルウェー史上最高の予算で『コン・ティキ』という映画がつくられ、観に行かれた方もいらっしゃるでしょうか?
いかだのヨット「Kon-tiki」(コン・ティキ)で、南米から南太平洋までの航海をしたことで有名ですね。
オスロの「コンティキ博物館」はノルウェー人ならば「生涯で一度は行っている建物」です!(外国人観光客は「ヴァイキング船博物館」に行っている割合が多い)

・・・切手に関して言えば、ノルウェーの友達は昔、「日本の切手は本当にいろいろな種類もあるし、きれいで羨ましい~。それに比べてノルウェーの切手は・・・」と文句を言い始めましたが、
ノルウェーの切手も頑張っていると思いますけどね。そうそう彼女は、「ま、女王の切手しかないイギリスよりはマシだけど」と言ってました~。

2015/1/18

ノルウェー系移民 in USA~その2~

さて人はどんな時に、母国を離れて外国へ移住するでしょう?
仕事、教育、結婚、または母国では安全が保障されないという難民もいます。
19世紀にアメリカへ渡ったノルウェー人の大きな理由は「貧困」でした。

19世紀のノルウェー。多くの人は農村で暮らしていましたが、土地を持っていた「地主」ではなく、小作人は条件の悪いわずかな土地を地主から借り、朝から夜遅くまで働いても貧しいまま。
そんな悪条件の農村でも、徐々に機械化が進み、小作人は不要になってきます。
工業化が進む都市部(クリスチャニア=当時のオスロの名前)へ小作人たちは仕事を求めてやってきますが、そこでも待っていたのは「貧困」と「重労働」でした。
今では禁止されている児童労働が行われ、男性は工場、女性は女中になって働くケースが多かったのですが、長時間労働と低賃金で富裕層たちに搾取されます。

そんな貧しい人々にとって、「アメリカへ行けばもっといい生活ができる」という謳い文句は魅力的に聞こえたことでしょう。
先にアメリカへ移住したノルウェー人から「アメリカは素晴らしい!」と手紙を受け取れば、「自分も行こう!」とナイーブに信じてしまうのも無理からぬことだったと想像します。
結果、1825年~1925年までの100年間、約80万のノルウェー人が国を離れます。その大半の渡航先は「北米」でした。
この数字だけではピンとこないかもしれませんね。
1850~1900年の間、ヨーロッパで国民一人あたりの離国人数は、アイルランドに次いでノルウェーが2番目に多かったのです。

渡米

渡米するノルウェー人

「その1」で書いたようにノルウェー系移民は、ミネソタ、ウィスコンシン、そしてノース・ダコダに集まりました。
アメリカへ行っても寒い土地に固まったのですね~。
では、アメリカでは本当に「いい生活」が待っていたのでしょうか??アメリカでの生活に適応できたのでしょうか?

もちろん、成功を収めたノルウェー系移民もいます。
しかしほとんどの人は、英語ができないため良い仕事につけませんでした。またアメリカ流に染まることよりも「ノルウェー人のコロニー」を形成していきます。
例えば、1910年、アメリカにおける「ノルウェー教会」の数は母国ノルウェーの2倍もの数があったのです!
つまり、アメリカ社会に適応するよりも、自分たちの組織やネットワーク作りに熱心だったことが分かりますね。
ではなぜアメリカ社会に適応しようとしなかったのか??
アメリカ系移民についての著書があるMørkhagen(ムルクハーゲン)の解釈はこうです。

「ノルウェー系移民たちは、アメリカ社会になじむにはあまりに道義的で率直過ぎた。特に政治的な場面では、信念を曲げても駆け引きが必要だったのに、それができなかった。」
(Aftenposten紙、2014年12月26日)

う~ん、やっぱりそうなのね・・・。なんか納得しちゃいます。
そして信心深いノルウェー人にとっては、アメリカは「モラルが堕落している」と映りました。若者たちのダンスでさえも議論の対象になったのです!
ノルウェー語のテキスト「Her på berget」には、新天地で失望したノルウェー系移民の手紙が掲載されています。
「英語ができないので、彼らに笑われるのがつらい」
「アメリカは偽りばかりで、だます人間が多い」
「皿洗いの仕事しかない。事務仕事を得るのは難しい」
「彼らの考え方は、私たちと全く違う」
「アメリカにいる女性は全然良くない。ノルウェーに戻ってちゃんとした女性と結婚したい」

・・・今、ノルウェーに住んでいる移民たちがこぼす愚痴のようですね・・・。
(つづく)

2015/1/13

フッティルーテン!

え?また3連休??
ということで日曜日です~。ビジュアル強化ブログの日になりました~。本日の1枚はこちらです!!

フッティルーテン
 

ボールペンなんですけれども、船のイラストが描かれているのがわかりますか?
これはノルウェーが誇るHurtigruten=フッティルーテンのボールペンなんです。
フッティルーテンは「沿岸急行船」とも訳されますが、ベルゲンから北ノルウェーの先端ヒルケネスまで航行する船のことです。

途中、何か所も停まりますが、北ノルウェーの人にとっては生活の足になっているところもあります。
まだフッティルーテンには乗ったことがないのですが、ノルウェー人にとっても「夢の体験」と言われる航行。
そして「北ノルウェーに行くのだったら、飛行機じゃなくてフッティルーテン!」と必ず勧められるので、ぜひ老後の楽しみにとっておきたいで~す。

ところでこのボールペン、誰からいただいたのかわかんないんですよね・・・。はて。

2015/1/11

祝アンネ・ホルト復活出版!『凍える街』

北欧ミステリーが世界的にブームになり、日本でも翻訳点数が確実に増えています。
今回ご紹介する作家アンネ・ホルト(Anne Holt)は、こうしたブームよりもっと早く日本で翻訳された稀有な作家です。
1997年に『女神の沈黙』や『土曜日の殺人者』1999年『悪魔の死』は(柳沢由美子訳、集英社文庫)が翻訳され、すぐに買って読んだことを覚えています。

・・・時は流れ、昨年末に凍える街(枇谷玲子訳、創元推理文庫)が翻訳出版されました~。お帰りなさい、というのが率直な感想です。
この『凍える街』は、90年代に翻訳された「ハンネ捜査官シリーズ」の7作目。否応なしでも以前の作品と本書を比較してしまうのですが・・・。

ヒロインのハンネが変わった?

それは当然でしょう。時は流れます。90年代の作品ではピンクのハーレー・ダヴィットソンを乗り回し、どこまでも颯爽として美しいハンネ。
そして『凍える街』のハンネは40代。顔に贅肉がつき、ハーレーを乗り回すシーンは出てきません。
でも『凍える街』のハンネの方がより人間的な深みを感じ取れます。苦悩であったり、疲労感であったり、葛藤であったり。
読者にとって、前作よりも感情移入しやすいキャラクターになっているのではないでしょうか?
前作のハンネはあまりにも「作者がこうなりたいという願望がてんこ盛り」な自己愛チックなキャラクターでした。

こうしたハンネの変化とともに感じたのは、作品における社会批判のトーンも変化していることです。
90年代に出版された作品では、法律家・大臣経験者でもあるアンネ・ホルトの社会批判が「直球」で盛り込まれていました。
麻薬犯罪、移民への差別、軽すぎる強姦罪などなど。「福祉国家の闇を告発する」という義憤にも似た感がありました。

『凍える街』では、もちろん社会批判と取れる描写は散見されますが、より間接的な「変化球」になっている印象です。
前作でもキャラ立ちしていた警官ビリーT(彼も老けた!)が、すっかり身を持ち崩した幼馴染と対面した時に、こんなモノローグを漏らします。
「お前はおれと同じ道を進むことだってできたのに。給料日から次の給料日まで身を削って働いて、仕事と子どもと母親と、絶望的な動労や、崩壊に向かうシステムの間を、ピンポールみたいに弾かれて。そのシステムが崩壊しかかっているのはお前みたいなやつのせいなんだよ。何もかもから逃れ、教育に娯楽、温かい飯に医療まで提供される刑務所に入り、税金を食いつぶすお前みたいな人間のな。」(188頁)

ノルウェーの行き届いた福祉国家に対する「善良な納税者の本音」といったところでしょうか。

さらにアンネ・ホルトの作品を語る上で避けられないのは「同性愛」の問題です。
作者自身が同性愛者であることは、ずいぶんと前から「周知の事実」で、ハンネもまた同性愛者です。
ノルウェーはデンマークに次いで世界で2番目に同性愛婚(パートナーシップ婚)を導入し、現在では正式に「結婚」が法的に認められた同性愛に「寛容な」国家です。
ただ・・・では同性愛者に対する差別が全くないか、というと残念ながら答えはNeiでしょう。
作中でも、ハンネと家族の同性愛であることの葛藤するシーンが出てきますが、アンネ・ホルトならではの繊細かつ深淵な描写です。
アンネ・ホルトの現在の心境は分かりませんが、もう何年も前、同性愛の社会問題が脚光を浴びるたびに自分が「同性愛者の代弁者にされてしまう」ことへのいら立ちを表わにしたことが報道された記憶があります。

悲しみとたくさんの業を抱えて「カンバックした」ハンネ。
オスロのフログネル地区=高級住宅地で起きた四重殺人を解決すべく、彼女の非凡な捜査能力と個性が満喫できる記念すべき「復帰作」です!

凍える街

 

2015/1/9

ノルウェー系移民 in USA ~その1~

最初に留学したVoldaカレッジのノルウェー語クラスには、アメリカ人留学生がいました。もう20年も前の話です。
すごく不思議だったのは、「なぜ英語とノルウェー語は似ているのに、こんなにノルウェー語ができないの??」という疑問でした。
いつまで経っても、たどたどしいノルウェー語を話す彼は、最後のコース修了の試験に落第。
先生に聞いたところ、「今まで、アメリカ人留学生で試験に合格したのはたった1人だけなのよ」と教えてくれました。

アメリカ人は、どこでも英語が通じるから外国語を学ぶのが不得手なの??想像をはりめぐらしました。

しかし私は、その考えを改めることになります。
オスロ大学のインターナショナルサマースクール(ISS)に短期留学した際(1997年、1998年)、アメリカ人の参加者が半数くらい占めました。
初心者レベルの学生もいれば、「この人、ネイティブ??」と思うほどハイレベルの学生と呼ぶには年齢が上の参加者がいて本当に驚きました。
ISS参加者の名簿が配られたのですが、アメリカ人学生たちの所属は「St.Olav College」という大学が目立ちました。
この頃、恥ずかしながら、「St.Olav」が何を意味しているのか分かっていなかったのです。
「St.Olav」またはOlav den helligeは、11世紀初頭、ノルウェーの「オラブ王」でした。彼はそれまでのOdin、Torといった「北欧神話」に基づく神様ではなく、キリスト教の改宗に踏み切ります。
改宗にあたっては国内で激しい反発があり、オラブ王は戦闘中に命を落とし、そして「聖オラブ」=Olav den helligeと呼ばれるようになりました。

・・・ここでちょっとSt.Olav Collegeに話を戻すと、「ミネソタ州にあるノルウェー系アメリカ人が創設」とWikiに紹介されています。
wiki:http://en.wikipedia.org/wiki/St._Olaf_College
大学のHPを見てみると、おお、ノルウェー語学科があるではないですか!
http://wp.stolaf.edu/norwegian/

話は変わりますが、ノルウェー語を勉強するにあたって悩ましいのは辞書選びです。
生徒さんによく「どの辞書がいいですか?」と聞かれますが、「Einar Haugen編著のNorwegian-English Dictionary」をお勧めします。
私が持っているのは、今は出版されていないノルウェーの「大学出版社」で出版されたものですが、今では日本のamazonで「Einar Haugen編著」の辞書が入手可能です。

ノルウェー語辞書

ノル-英語辞書・・・ぼろぼろです

ここで注目してほしいのは、版元はウィスコンシン大学出版だということ。

ミネソタとウィスコンシン。このアメリカのエリアの共通点は??
はい、両方とも19世紀にたくさんのノルウェー人が移住した土地です。
・・・ということで、今ではたくさんの移民が暮らすノルウェーですが、ノルウェー人が移民だった時代にさかのぼってみましょう~。
(つづく)

2015/1/6

冬の日差し

は~い。今年お初の「ビジュアル強化ブログ」です♪
本日の一枚はこちら~♪

オーロラ
こちらは、北ノルウェー・トロムソ在住の元生徒さんが下さった「極夜の終わりにようやく射し込む日光」のカードです。

白夜はメジャーですが、その反対の極夜(きょくや)はご存知ない方、多いですね。
北極圏では、11月中旬~1月中旬ころまで、日が昇らない「極夜」状態になります。
・・・といっても、昼の1,2時間は地平線から日差しが射し込んできて、とても神秘的な風景なのですが・・・。

「神秘的」などと言えるのは観光で訪れた程度だからかもしれません。現地で暮らす人は、太陽が再び戻ってくることを待つ日々です。
そして5月~7月は、全く日が沈まない白夜になります。
日照時間がどんどん長くなっていく喜びは・・・!! 太陽ってありがた~い、という気持ちになりますよ。

2015/1/4

ノルウェーカレンダー

今日で今年の「ビジュアル強化」ブログも最後ですね~。段々、ブツが足りなくなった??とちょっと心配ですが・・・。
本日の1枚はこちらです!!

カレンダー

よく、「ノルウェーには毎年、行っているんですか?」と聞かれることがあります。
はい、行ってます。そして必ず買うのがカレンダーです。
ノルウェーのきれいな景色を見るのも楽しいですし、あと祝日などが入っているので便利です♪
特にポースケ=イースターは移動式の祝日なので、「今年はいつ?」とチェックできますね。
Yoko管理人にも、毎年、カレンダーをお土産に買っていますが、迷わなくていいので楽です~。

カレンダーはもう最後の月、12月。
2014年のカレンダー、お疲れさま~。

2014/12/28

ブルックリンでノルウェーのパンを♪

クリスマスにちょっと食傷気味・・・という方のために、クリスマスネタ以外で書きま~す。
ノルウェー人は基本、「ニューヨーク、ロンドン」そして「トーキョー」といった大都会に憧れを持っていますが、そのニューヨークで頑張るノルウェー人女性が記事になっていたので、ご紹介しましょう(Aftenposten紙、2015年12月20日)。

ニューヨーク在住のNina ニーナさん(44歳)。彼女はブルックリンで「Bakeri」(バーケリー)=ベーカーというパン屋さんを営んでいます。
ここBakeriでは、ノルウェー人が大好きなSkolebrød(スコーレブロー)、直訳すると「学校のパン」を買うことができます。
こちらがスコーレブローの写真です。
スコーレブロー

白いトッピングは、ココナッツフレークです。甘くて、これだけでお腹いっぱいになれますよ~。

さてニーナさんが、このスコーレブローをメニューに加えた事情は、ちょっとユニークです。
「私の兄弟がお店に遊びに来て、スコーレブローを焼いてくれないかと尋ねてきたんです。たくさん焼いて余った分は、試しに販売用に回してみたら・・・。とても人気のあるパンだと分かって、メニュー入りしたのよ。」

ニーナさんの人生は偶然の連続でした。お店の名前も、「ま、こんな感じ?」と決められ、メニューは彼女やスタッフが持っているレシピから、段々に広がりを見せます。
「お店を始めたころは、ともかく無我夢中。パン作りを学ぶため、夜の11時まで働いて、朝は4時からスタートした時もありました。でも今は、順調になっています。」

「Bakeri」は朝早く、お店にその日のパンを買うためにお客さんたちの行列ができる人気店に。ブルックリンに2号店もできました。
「内装にはこだわりがあって、中古店で見つけたものでインテリアは作りました。」
う~ん、素敵ですね。

・・・と書くとニーナさんの人生は順風満帆だったように聞こえますが、決して道のりは平坦ではありませんでした。
日本でも有名なノルウェーの高級ミネラルウォーターVossのマーケティングシェフの仕事を辞め、アルゼンチン人の夫とブルックリンでレストランを開業することを決意します。
その数年後、彼女は自身の店”Bakeri”をスタートしようとし、2009年についに夢がかないました。
しかし、半年前に夫は病気で亡くなり、彼女はレストランとBakeriの50人の従業員の責任が、ニーナさん一人の肩にのしかかります。
「とてもハードな時期でした。でも仕事、特に朝4時にパンを作ることは一種の癒しになってくれました。」

ところでニューヨークでは「北欧」のお店がどんどんオープンしているようですね。
“Tørst”(渇き)”Luksus”(ラグジュアリー)”Skål”(乾杯)”Aska”(灰?)などなど。さらにスウェーデンの”Konditori”というカフェは6店舗もあるそうです。
Konditoriは、ケーキやパンを買ったり、コーヒーや紅茶が飲めるイートイン式の昔ながらのお店の名称です。
最近では、ノルウェーが誇るトップバリスタ、Tim Windelboeのコーヒーが飲める北欧カフェ”Budin”がオープンしました。

まるで突然、北欧の食にニューヨーカーが興味を持ち始めたように感じますが、では「北欧の食とは何ですか?」という問いにニーナさんは答えます。
「シンプルで自然の食材を生かすのが、北欧の食だと思います」と。

BakeriのHPはこちらから。Our morging hoursというコーナーをクリックすると、画像が出てきますよ。
http://bakeribrooklyn.com/

ところで「Bakreri ブルックリン」で検索すると、すでにたくさんの日本語ブログや媒体で紹介されているんですね~。全く知りませんでした・・・。ノルウェー伝道師、失格!

ノルウェーのパン屋さん

オスロのパン屋さん

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2015年1月スタートのノルウェー語レッスン「初心者クラス」は以下の枠で開講決定しました~。パチパチ♪
・火曜11時~12時半(初回1/13)
・土曜14時~15時半(初回1/10)
まだ残席がありますので、迷っている方はお急ぎくださいね。Velkommen!
詳細・お申し込みは・・・こちらをどうぞ♪
http://norwayyumenet.noor.jp/hp/info/norskkurs/norskkursannai.htm

2014/12/24

北欧ニッセ人形比較♪

クリスマス=julが近づいています。
・・・ということで、「ビジュアル強化ブログ」は当然、乗っからせていただきま~す♪
今日の一枚はこちらです!

ニッセ

えっと。。。これらのnisse=ニッセはどこの国のものか分かりますか~?
左はスウェーデン、真ん中がノルウェー、そして右がアイスランドです♪
この写真の何がすごいか・・・実はスウェーデンとアイスランドのニッセ人形は、Yoko管理人のお土産なので~す。

アメリカっぽいサンタクロースより、こちらのnisseの方に親しみを覚えたら・・・はい、あなたの北欧度は高いです♪
ちょっと早いですが・・・

God Jul!

2014/12/21

仙台へ行ってきました!~後篇~

翌朝。理事長の木須八重子さん、木村さち子さんと車で被災地見学を果たすことができました。
これはとても「贅沢な」経験です。というのも、木須さんは、震災当時、仙台市で一番被害がひどかった宮城野区の区長だったので、運転しながら貴重なお話しをたくさん教えて下さいました。

まず、仮設住宅の建設について。
阪神淡路大震災の教訓を生かして、なるべくコミュニティー同士の人たちが一緒に住めるように配慮したこと。
場所は、仙台駅前の一等地の公園をつぶして、「ここへ引っ越しませんか?」と提案したそうですが、沿岸部の住民たちは足が便利な街の一等地よりも、被災した場所を希望されたそうです。
「完全に”街の人間”の発想でした。」と木須さん。
ということで、実際の仮設住宅はどんなところに建てられたのか?・・・興味は増します。

中心地から車でどんどん沿岸部へ。たくさんのトラックが走っています。
荒浜小学校の前に到着しました。もう人気(ひとけ)はありません。その場所に立って、「こんな場所まで津波が来たの??」とありきたりですが驚きました。

荒浜小学校

荒浜小学校

津波の映像はたくさん見ましたが、やはりその場に立つとその威力に圧倒されます。
荒浜は海が近く、とても強い風が吹いていました。防風林がほぼ流されてしまったから。
「ここは、本当にいいところだったのよ」と木村さんが教えてくれました。海の近く、大きな家がたくさん建っていて・・・。「仙台の湘南みたいなところ」という表現を使っていました。
残念ながら、今ではほんの少し残っている木、そして更地化された「荒涼とした」一角になっていました。
強い風を受けて、ひときわ寒さが身に染みます・・・。
荒浜地区

それから、木須さんが懇意にされている佐藤政信さんが自治会長をつとめている「高砂一丁目公園仮設住宅」へ向かいました。
仮設住宅
佐藤さんは、とても暖かく迎えてくれました。みんなの寄り合い部屋には、たくさんの寄せ書きや千羽鶴などが飾られています。
震災時と震災後の記録写真などが丁寧にファイルされていて、拝見します。震災当時の被害のすざましさを見ると、よくここまで復興したものだ、とも思えたのですが・・・。

佐藤さんは、わざわざ仮設のご自宅の中まで入れて下さり、「これは何と言う体験!」と感激しました。
お二人住まいの住宅は2部屋ですが、収納スペースは十分ではなく、そして台所も狭くて「ここにまだ暮らしていらっしゃるのか」と言葉を失いました。
ここに住んでいらっしゃる方たちは震災前、大きな住宅に住んでいたので、このような狭い空間で暮らすのは不慣れで大変なことと想像します。
仮設住宅に暮らしてから、実際に12か所の修繕(二重窓の設置など)を依頼されたそうです。
こうした経験は、来るべく震災で大いに「学習」すべし!と素人なりに感じました。
またまたありきたりの感想ですが、「皆さんが一刻も早く普通の生活に戻れるように」と願います。

クリスマスツリーや皆さんが育てている植物なども目につきました。
佐藤さんに感謝しつつ、仮設住宅を後にします。
クリスマスツリー
お昼は、キリンビール仙台工場内にある明るいレストランに連れて行ってもらいました。
工場は被災がひどくても本社が「地元でやっていくこと、雇用もそのまま継続すること」を早く決断し、復旧に向けて工場の人たちや近隣の人たちが一丸となって、今では「え?ここも被災したの?」と思えるほどの光景に戻っています。
おいしい牛タンシチューを頬張りながら、木須さんや木村さんの当時の体験を伺います。
木須さんの区長としてのリーダーシップ、そして区職員の皆さんの奮闘ぶりが想像できました。

ノルウェーの前大使は、20回ほど仙台に足を運ばれたそうです。震災を経験し、被災地の惨状を目の当たりにして、熱意をもって震災復興に力を注いでこられたのだなぁと感嘆しました。
現大使も、すでに仙台に訪問されたそうですが、これからもノルウェーの息の長い支援に期待したいですね。

・・・こんなに書いても、ホントはもっともっとたくさん書きたいのですが、ブログという媒体では不向きでしょう。
被災地見学に連れて行って下さった木須さん、木村さん、そして案内して下さった佐藤さん。皆さんには言葉にならないほど感謝しています。
ワタシにできることは何?
せめて、あの日に見て聞いた体験や光景を「忘れないこと」。
そして何らかの手段でも「伝えること」。

ノルウェーの連続テロにここまでこだわっていますが、同じことが言えます。
「忘れないこと」。そしてノルウェー語の文献から日本ではなかなか得られない情報を「伝えること」。

仙台への訪問は短かったですが、関係者の皆さま、サポートして下さった皆さまに感謝感謝です!!

皆さん

木村さん、佐藤さん、木須さん

2014/12/19

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