ティッシュは貴重品

東京の語学学校でノルウェー語を習い始めた1994年頃、ノルウェー人留学生と知り合うことができました。
一緒に新宿を歩いていた時、彼女はティッシュ配りから喜んでもらっていて、2個とかねだっている時もありました(ちょい恥ずかしかった・・・)。
「道でティッシュを配っているなんて信じられない!」といたく感動している様子に、「ふ~ん」と思ったのですが・・・。

さて1995年にノルウェーのカレッジに留学が決まり、いろいろと情報収集をしようとしたのですが。
「ノルウェーの情報、少ない!」とキレそうになりました。
またインターネットは今ほど普及しておらず、「ノルウェー本」か限りなく少ない・・・。
そんな貴重な「ノルウェー本」に、中田慶子さんの「私の出会ったノルウェー」がありました。
80年代に家族でトロンハイムで暮らされた記録の本書は、内容も面白いし、示唆に富んだ観察が素晴らしいのですが、細かい記述に目が留まりました。
「ノルウェーではティッシュペーパーが非常に貴重品」。
日本のように、あんな安価なティッシュペーパーはどうやら売っていないそうです。
「そうなんだ~」と、1995年夏、西ノルウェーの田舎町に移ったのですが・・・。

確かに、大きなドラックストアもなければ、スーパーに「ティッシュペーパーボックス」5箱まとめなんて。どこにもありません。
そもそも最初の留学時。ティッシュペーパーボックスなんてなかった気がします。
ティッシュペーパーは売っていることは売っているのですが、紙のサイズが日本の二倍くらい、厚みがあって、何だかプレゼントで贈れるような雰囲気。
ティッシュペーパーというより、紙ナプキンみたいなんです。
「使い捨て」とはほど遠い。
値段も高い!
日本で歓喜しながら、ティッシュをもらっていたノルウェー人の心理がようやく理解できました。

・・・すると人はどうなるか・・・
1枚のティッシュを後生大事に使うことになります。
まず1回鼻かんだくらいでは、捨てなくなります。サイズも大きいから、ちょっとずつ使う。
私はやらなかったのですが、中年のボスニア人留学生は、袖に使ったティッシュをしまってました。

あとは、もっと安いトイレットペーパーやキッチンペーパーで鼻をかんでいる学生もいましたね~。(トイレットペーパーの質は悪い)
今でも、私の年配の友人はキッチンペーパーで鼻を噛んでいます。

2回目の長期留学(1999-2000)では、オスロに留学しました。
その時には、サイズが日本の半分くらいのティッシュペーパーボックスを見つけ「おお~、ノルウェー、進化した!」と感動したものです。
もちろん値段は、日本とは比べようがないほど高いです。
なので、ノルウェーで身についた「1枚のティッシュペーパーを後生大事に使う」が実践されます。

・・・こういう経験をすると人はどうなるか・・・
日本に帰っても、1枚のティッシュを後生大事に使う体になってしまいました~。はい、「地球にやさしいおばさん」と呼んでください。(エコ!)
なので、1枚のティッシュをすぐに使ってポイっと捨てる人(←これが普通)を見ると、新鮮な驚きを覚えます。
自分も昔はああだったんですよね。うん、信じられない!
あと、5箱セットのティッシュボックスとか買わなくなりましたね。
ちょい質のいいティッシュを買って、念入り(=貧乏くさく)に使います。
せっかっく「おしゃれ北欧」に留学したのに、身についた習慣がこれとは・・・くくく。

ノルウェーへ訪れるとき、一応、ティッシュペーパーを2,3個持参します。
でも大抵、使わないので、帰国する際に、家に居候させてもらっているアウドさんに「これ要る?」と聞くと、「嬉しい!」ともらってくれます。

最近、日本では贈答用に高品質&お高いティッシュペーパーが売っているようですが、ノルウェー人にあげた日には・・・。
3年は使ってくれると思いますよ!

ウクライナ情勢からノルウェーの試験を思い出す

ソチオリンピック中から、ノルウェーの新聞では連日大きくウクライナの情勢を伝えるようになりました。
日本にいるとウクライナって遠い国だし、なじみもないですよね。
ただ、ついに大統領を追われたヤヌコビッチ氏の豪勢な私邸を見ていると、ソ連が崩壊し、次々と東欧諸国が民主化になる過程で、時の権力者たちが私腹を肥やしていた様子が明らかになったことを思い出しました。

私がオスロ大学に留学していたのは1999年-2000年ですから、もうずいぶんと前です。
東欧からの留学生が多かったのですが、明らかに母国より恵まれているノルウェーに来ても、よく留学先の不満を口にしていたことを覚えています。
そこには、豊かなノルウェーへの羨望が含まれていたようにも感じてしまいました。

ただそんな東欧からの留学生たちが、口をそろえて「いい!」と言っていたのは、ノルウェーの試験です。
ノルウェーの試験は、私の場合は筆記試験と口頭試験があり、筆記は1科目4時間でした。でも4時間なんて短い方で、6時間、8時間の試験もあって、「超長丁場!」です。
4時間も試験をやると、トイレに行きたくなるし、外で空気を吸いたくなります。
そのために、試験官がずらっと教室の後ろに並びます。
平日の昼間、試験官なんてできるのは・・・はい、年金生活の方ばかり。
なので、大学の試験中は、おじいさん・おばあさんがたくさん集まってきたのは、最初は本当に驚きましたね~。

トイレに行きたい時は、手を挙げて、そして試験官のおじいさんやおばあさんがトイレまでついてきます。不正防止のためです。
外に出たい時も、やっぱりついてきます。これも不正防止のためです。

こうやって、カンニングの防止に努めているのですが、ほかにも「不正」をなくす方法がいくつも取られていました。
まず試験用紙には、自分の名前ではなく試験番号しか書けません。その番号は一体どの学生なのか先生は知りません。なので採点の際の「えこひいき」を防止します。
また口頭試験には、自分の先生以外に他の大学から来た先生も立ち会います。やはり、「公正に試験が行われるか」の見張りですね。
試験の採点にも、他大学の先生が関わり、「身びいきがないか」をチェックします。

・・・というように、何重にも、試験の公正性を保とうとするノルウェーの試験制度。
東欧の留学生たちは、「共産時代は、試験はカンニングや不正が横行していて、全然、公平じゃなかった」と、憤慨していたことを今でも覚えています。
「今はずいぶんと良くなったけどね」とあの当時、言っていたので、もう今ではそうした不正はなくなっているでしょう。

ヤヌコビッチ政権時代の大学試験はどうだったか分かりませんが、わいろは横行していたようですね。
ノルウェーや北欧諸国は、小さい積み重ねで、「公正さ」や「透明性」を保とうとしていることが、大学の試験からも垣間見られました。

ノルウェーでの医療体験は?

こんにちは~。
ホントですか?松岡修造が帰国して、日本の気温が上がったっていうTLは・・・。彼はノルウェー人並みに体温が高いのでしょうか?

さて午前中のレッスンで「ノルウェーの医療」について読みました。
日本からノルウェーへ移住された方で、まず不満をもらすのが「ノルウェーの医療」です。
診察の予約がなかなかいない、専門医が足りない、ベッド数が圧倒的に足りない、などなど。

私はノルウェーに留学していたのは2年ちょいですが、診察を受けた経験は2回。
いずれも2回目の長期留学中です。
まず秋頃、咳ぜんそくのようになってしまい、1か月以上、咳込む症状にお手上げ状態になりました。
聞けば、オスロ大学構内に、学生は無料で診察を受けられるクリニックがあると聞き、特に予約をせずに行ってみました。

少し待って、診察室に入ります。
稲垣美晴さんの伝説的な本「フィンランド語は猫の言葉」にも書いてありましたが、ドクターとまず握手を交わして挨拶をした覚えがあります。ゲホゲホせき込みながら挨拶しました。
ノルウェー語で「どこが悪いのか」説明するのは難しいですよね~。
「咳が止まらない」旨を説明すると、女性ドクターは、日本のドクターのように、のどを見るとか、聴診器を当てるよりもまず、「血液検査」を始めるのには、驚きました!
「え~?採血??私がアジア人だから風土病でも疑っているの?」といろいろ妄想が広がります。
それから、喉を見て、聴診器を当てて・・・などとおなじみの診察に戻ったと思います。

「咳を止めるための薬を処方しましょう」ということになり、処方箋をもらいました。
ノルウェーでは、日本のドラックストアより販売されている薬の種類が少ないですね~。なのでノルウェーへ行かれる方には、「常備薬を持っていくこと!」をオススメしています。
で、やはりキャンパス内にある薬局で、処方箋を出したところ・・・
咳止めシロップとイソジンみたいなうがい薬が出てきました。「え?血液検査までやったのに、これだけ~??」と再び驚きます。
咳止めシロップは懐かしい味がしました。
劇的に体調がよくなることはなかったのですが、自然と咳がおさまっていきました。

2回目の診察体験は、年末に一時帰国後、西ノルウェーに住んでいる友人宅へ遊びに行ったときにありました。
なんと、段々、唇周りの腫れから始まり「しもぶくれ」になってしまったのです。最終的には、顔の下半分が「腫れた」という症状でしょうか。
満足に話せなくなり、焦った友達は電話帳でクリニックを調べて予約してくれました。きっと「緊急!」と強調してくれたのでしょう・・・。

しもぶくれ顔で待っていると、やはり握手・あいさつの儀式を終えて、「腫れる」という調べたての単語を使って、症状を説明します。
今度は血液検査はなかったのですが、「う~ん、アレルギーかな?」みたいなドクターも「診断名」はできずに、何も薬も処方されませんでした。
段々と腫れは引いていって、心底、「ほっ!」としました。しもぶくれのまま生きていくには・・・人生はあまりに過酷です。

後で原因を考えると、一時帰国中、友達の家で鍋料理を食べたのですが、貝を食べました。それに当たったのかも?と思いつきましたが、100%の確信はありません。

ま、これくらいで済んでよかった~としみじみ。
「簡単に医者にかかれない国だから、とりあえず自分で健康管理!」を肝に銘じて、かの地の人は暮らしているのでしょうね。